2020年3月20日(金)の手紙

2020年3月20日(金)


『彼は自分のたましいの 激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの答を負う』イザヤ書53章11節


「私たちの主イエス・キリストの父である神・・・がほめたたえられますように。」

私たちは神によって「満足」しているが、神が私たちによってどれだけ「満足」しておられるか、わかっているだろうか。
私たちはそうした言葉の表面的な意味をかろうじて理解しているにすぎない。
その隠された深遠さについては言うまでもない。

「満足する」神がともにおられる「満足する」民!

私たちの誰ひとりとして失望することはない。
千分の一の部分すらまだ語られていないのだ。

私たちは満足するが、キリストは私たちに対して不満を抱かれるだろうか。
「彼は自分のたましいの激しい苦しみのあとを見て、満足する」。
これは読むにも語るにも、すばらしいことではないか。

私たちは心を開いて、これらの恵みのすべてが意味する神の愛を受け入れよう。
さらにすばらしいのは、その恵みを罪に定められた哀れな罪人に与える「(神の…)御手」に想いを馳せることだ。

もっとも辛い試練に耐えている神の子どもに、自分が神からどれほど恵みを受けているか、自分によってどれほど神が「ほめたたえられ」ているか、そして悲しみが喜びに代わっていくかを知らしめるのだ。

「不思議な助言者」であるお方は、また「力ある神」、私たちに「与えられる」「男の子」でもあられる。
だから私たちは、神の贈り物に気づき、信仰によってその贈り物を活用することができさえすれば、行動するよう召されたときに確信がもてないことはなくなり、それを実行するときも決して力不足にはならないのだ。

ヘンリー・グローブズ


聖徒たちは、神によって大いに尊重され、大切にされている神の宝石である。
彼らは神の御手の中の王冠である。

マシュー・ヘンリー


クリスチャンは世界でもっとも毅然とした人間となるべきだ。
私たちは、神の御前にいる王の子どもとしての自分たちのことを、あまりにも低く考えすぎている。

エドワード・デネット


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