2020年3月14日(土)の手紙

2020年3月14日(土)


『あなたは 彼らを人のそしりから御顔の前にひそかにかくまい』詩篇31篇20節


私たちの最高の経験はすべて、神おひとりといるときに味わえる。
また、ほかのどんな場所でも耐えることのできない悲しみがある。

悲嘆にもいろいろな種類があるが、胸がつぶれそうな本当にひどい悲しみの場合は、いつもただひとり、言葉もなく、神のみこころにゆだねて泣いて吐き出すのだ。

神おひとりといるときにだけ打ち勝つことのできる誘惑がある。
敵との戦いは結局のところ、孤独な戦闘だからだ。
そして神おひとりといるときにだけ受けることのできる深い喜びがある。

キリストの個人的な愛を感じる喜び、私たちの弱さの内に働いて完全にしてくださるキリストの力を見出す喜び、私たちの空っぽの器を神の「満ち満ちた豊かさ」のもとに携えていき、主がそれを満たしてくださるのを待ち、あふれる
のを見る喜び・・・。

信仰を刺激し、愛を強め、力を新たにするのに「御顔の前にひそかにかくま」うような場所はほかにはない。
私たちがそれをもっと求めようとしないのは、実に不思議で悲しむべきことだ。
力は、私たちが奥深くまで求めていかないかぎりは、私たちのもとには届かないものだからだ。
怠惰な祈りを何度かそそくさと祈っただけでは、決してそれを得ることはできない。

いやしくも力を得ようと思うなら、キリストと深い霊的な親交をもつことが必要なのだ。

一本の木の部分で、その根ほど見えないところはない。
だが、木が成長し豊かな実を結ぶためには、これほど欠くことのできない部分はない。
そして、その木の目に見える状態は、目に見えない根の行っていることを間違いなく知らせてくれる指標となっている。

それと同じように、私たちの目に見える生活も、目に見えない根が深く伸びているかどうかをまもなく告げてくれるだろう。
なぜなら土の下の渇きは、近いうちに土の上の立ち枯れを意味するからである。

G・H・ナイト


神は私を孤独な人間にされた。
・・・私は常にひとりきりで、人々といるよりも、人々のために考えることが多かった。

だが、もっとひとりでいることが望ましい。
もし、もっとキリストと二人だけでいられるなら、それが最もいいことなのだ。
それはなんとすばらしい場所であろうか!!

ジョン・ダービー


私は小鳥、
外の野原からは隔離されている。
籠の中に留まって、私は歌う、
私をここに置かれたお方のために。
囚われの身であることを、心から喜んで。

主私の神さま、
そのことをあなたが喜ばれるからです。

ジャンヌ・ギュイヨン


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