2020年2月6日(木)の手紙

2020年2月6日(木)


『こうして、私たちは信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって神との平和を持っています。このキリストによって、私たちは、信仰によって、今立っているこの恵みに導き入れられました。そして、神の栄光にあずかる望みを喜んでいます。』ローマ人への手紙5章1節~2節


すべてのクリスチャンは「信仰によって義と認められ」、「神との平和を持って」いるので、「神の栄光にあずかる望みを喜んで」いる。
それはしごく当然のことであり、あなたにも当てはまる。

キリストはあなたを永遠に「義と認め」て、「キリストによって、今や……和解させていただいた」のである。
そして時が来ると、あなたをすべてご自分のもの… 「しみや、しわや、そのようなものが何一つない」もので満たし、神の栄光をも与えてくださるのだ。

その日を喜び、期待して待とうではないか。

私たちは誰もが罪を犯し、神の栄光を受けるには足りない者だが、神の恵みにより、「信仰によって義と認められた」者は一人残らず、「キリストが現れたときに、キリストに似た者になる」という確信を今や抱いている。
これが私たちの「望み」なのだ。

私たちは「望み」という言葉を、聖書的な意味で使っている。
それ以外では、望みは不確実なものにもなりうるが、聖書的な意味は完全な確実性を伴っており、私たちの主イエス・キリストの再臨のときに、神が約束されたものが確かに私たちのものとなることを教えている。

どのクリスチャンも、ほかのクリスチャン以上に神との平和をもつことはできない。
それと同じように、神の栄光の望みもほかのクリスチャン以上にもつことはできない。

というのは、すべてはキリストただおひとりのおかげだからだ。

パウロが知っていたのはまさにそのことだった。
すなわち、彼がまだ面識のなかったローマ人たちも同様に「神の栄光にあずかる望みを喜んで」いたのである。
それは私たちもまったく同じだ!

ポウル・マドセン


世界中の出来事はすべて希望によって起きている。
農夫は、トウモロコシの種が芽を出して穂をつける希望がなかったら、誰も種を蒔きはしない。

まして私たちは、永遠のいのちに至る道で、どれほど希望に助けられていることだろうか。

マルティン・ルター


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