2020年2月4日(火)の手紙

2020年2月4日(火)


『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持っためである。』ヨハネの福音書3章16節


乳飲み子でも、樫の大木を内に抱くドングリをその手につかむことができる。
それと同じようにどれほど幼くても、ヨハネの福音書3章16節の「ニコデモへの説教」を回らぬ舌で復唱できる子供は、神の福音を知っていると真に言えるかもしれない。

それでもそのことばの一つひとつには、ただ神おひとりにしかわからない深く神秘的な意味が秘められているのである。

どうか、「滅びる」とはどういう意味なのかを私に教えて、永遠のいのちという考えをどう理解したらいいのかわからせてほしい。
憎むべき暗黒の歴史のすべての歳月を通して人間の底知れぬ邪悪さと罪深さを、私のために測ってはもらえまいか。

そうすれば、神が愛してこられた世界がどんなものかを、ある程度は理解できるかもしれない。

そんな世界でも愛されうるという考えに驚嘆してしばし立ち止まり、「ひとり子をお与えになったほど」の愛につぃて、すぐに語ってほしい。
そしてこの愛を私が知ることができるようになったとき… (この愛を知識で理解することはできない。それは知識を超えたものだからだ)、静かに私に迫って、神の子、神のひとり子の犠牲について語ってほしい。

その犠牲によってこの愛は測られ、証明されてきたのである。

私に主のことを、完全なる知識をもってわからせてほしい。
主は、ご自分のことを知ることができるのは、ただ父なる神おひとりだけだと断言された。
そしてこれらすべてのことをあなたが達成できたときに、私はふたたびキリストについての聖句に向かい、この世界をこんなにも愛してくださったのは『神』であることを読んで、神がどんな方であるのかを知りたいと強く願っている。

私は、邪悪な世界さえも愛するという思想を理解することができるし、ひとり子を手放す愛がどんなものかもわからないではない。

だがしかし、愛してくださったのが神であること、神が贈る側であり、神の御子がその贈り物であることを知るとき、私は無限のお方の御前に立って、驚嘆の思いで礼拝する。
そしてそれを知るのは、私にはあまりにも崇高すぎることだと告白するのである。

ロバート・アンダーソン卿


神の偉大さを瞑想するたましいにとって、この世界はほとんど意味をもたない。
私の務めは神の御前に留まっていることだ。

ブラザー・ローレンス


神についてのあなた方の考え方は、あまりにも人間的すぎる。

マルティン・ルター


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