2020年2月28日(金)の手紙

2020年2月28日(金)


『そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。今しばらくの間、様々な試練の中で悲しまなければならないのですが』ペテロの手紙第一1章6節


主は何一つ間違いをなさることはない。
だから私たちに何が起こっても、ただ父なる神に向かおう。
「これは、やらなければならないことなのだ」という思いをもって。

さらには、これらの試練は必ずしも懲罰ではなく、神の子どもたちへの神の訓練なのだ。
そこには単なる指導だけではない、教育がある。

神は、ご自分が与えられた恵みの結果が私たちの中で働いていることを、すなわち「御霊の実」である愛、喜び、平安、忍耐を引き出し、発達させ、明らかにしたいと望まれて、これらのすばらしい実を結ばせる神ご自身の方法をとっておられるのだ。

あなたや私はしばしば、この試練やあの試練において、やらねばならぬことを見ようとしないことがある。
しかし、私たちの父なる神は何と言っておられるだろうか。
やらなければならないことはあるが、それは「しばらくの間」だけのことで、永遠に続くものではない。
このことは心を励ますものだ。

私たちのたましいが常にすべての試練について明るい面を見つけようと努め、ひどい苦難の中にあっても明るく晴れやかな顔をしようとするのはすばらしいことだ!

ピリピでのパウロとシラスを見てみよう。
これ以上、惨めなことがあるだろうか。

「奥の牢に入れ」られ、「足には木の足かせをはめ」られた二人は何をしていたのだろう。
「祈りつつ、神を賛美する歌を歌っていた」のだ。
二人はその牢の中で、信仰深く威容ある聖職者としての自分たちの使命を実践していたのである。

賛美の歌を歌ったとき、彼らは聖別された使徒だった。
恐れおののいている看守に「自害してはいけない。私たちはみなここにいる」と叫んだとき、彼らは天の王に仕える使徒だった。

なんと麗しい光景だろう!
彼らは限りない喜びに満たされ、その看守を回心させたのだ!
それは、背中を鞭打たれて血を流し、傷を負ったことのすばらしい結果だった。
それまで神を否定し、心を動かすことはできないように見えたたましいが救われたのである!

苦難はさまざまな形でやってくる。
だが私たちは地上にいる間、それを受け入れるべく心を決めなければならない。

「苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。
この希望は失望に終わることがありません。
なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです」。

しかし試練の道には、たいそう明るい結末が待っている。
「試練で試されたあなたがたの信仰は、火で精錬されてもなお朽ちていく金よりも高価であり、イエス・キリストが現れるとき、称賛と栄光と誉れをもたらします」。

信仰の領域は地上にあり、神はそれを試される。
神が信仰を与えるときには、必ずその信仰を証ししてくださる。
その信仰は永遠に現れる実りをもたらす。

「イエス・キリストが現れるとき」、すべてのことが明らかにされるのだ。

W・T・P・ウォルストン


内からも外からも来るあらゆる困難、すべての失望と苦痛、不安と誘惑、闇と孤独とを、自己を捨てる真の祝された機会として、両手で受け入れよう。

ご自分を無にして苦しみを受けられたあなたの救い主とのさらなる完全な親交に入るための、真の祝された機会として、受け止めよう。

これ以外には、内と外からの困難をどんな方法でも見てはいけない。
それに関して、ほかにどんな考えが浮かんでもはねつける、ことだ。
そうすればあらゆる種類の試練と苦悩は、あなたに祝福された繁栄の日をもたらすだろう。

ウィリアム・ロー


信仰は、厳しい試練の炉をくぐり抜けなければならない。
私たちは主を信じ、おゆだねしていると「口にする」だけではいけない。
信じゆだねていることを、そしてあらゆるものが私たちに敵対するときもそうであることを、「証明」しなければならないのだ。

C・H・マッキントッシュ


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