2020年2月25日(火)の手紙

2020年2月25日(火)


『御座の前は、水晶に似た、ガラスの海のようであった。そして、御座のあたり、御座の周りに、前もうしろも目で満ちた四つの生き物がいた。第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は雄牛のようであり、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は飛んでいる鷲のようであった。この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その周りと内側は目で満ちていた。そして、昼も夜も休みなく言い続けていた。「聖なる、聖なる、聖なる、主なる神、全能者。昔おられ、今もおられ、やがて来られる方。」また、これらの生き物が栄光と誉れと感謝を、御座に着いて世々限りなく生きておられる方にささげるとき、二十四人の長老たちは御座に着いておられる方の前にひれ伏して、世々限りなく生きておられる方を礼拝した。また、自分たちの冠を御座の前に投げ出して言った。「主よ、私たちの神よ。あなたこそ栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方。あなたが万物を創造されました。みこころのゆえに、それらは存在し、また創造されたのです。」ヨハネの黙示録4章6節~11節


神が唯一の完全なるお方であり、限りない栄光と恵みに満ちておられることを考えると、人間に起こりうる最高の恵みは、神を知ることである。

私たちは、神のみことばと私たちの内におられる聖霊の働きを通して神をよりよく知るようになるにつれて、神が私たちに働きかけてくださるので、自分の内にある神の恵み深さを感じるようになり、神ご自身とその属性との栄光と麗しさにも気づくようになるのだ、と悟る。

かくして、神を知る特権を与えられた者たちは、もっともっと「主と同じかたちに姿を変えられてい」く。

さて礼拝は、神についてのこの内なる知識と感謝を、まさに外に向かって表現することである。
天の生き物たちが「聖なる、聖なる、聖なる、主なる神、全能者」と叫ぶとき、彼らは聖なる神への内なる賛美に満ちあふれていた。

もしも彼らが神の聖さをまったく何も知らなかったら、彼らが神の聖さを認めて叫ぶことを、神はお認めにならなかっただろう。

神を知ることの内なる恵みを外に向かって表すことを通して、私たちはこの限りない恵みを伝える水路となることができる。

私たちは一度にたくさん保つことはできないが、あふれることはできる。
「私の杯は、あふれています」。

神を礼拝することが、単に神に頭を垂れるという形を通して行われるだけではなく、神の御霊の助けによって「新しく造られ」るという恵まれた経験を通して行われることに気づくと、私たちは聖霊の導きを実際に経験することによって、神の偉大さと神の限りない価値について知るようになる。

神についてもっと完全に知ることをさらに喜ぶようになれたら、どれほどすばらしいことが、私たちのために栄光の内に用意されていることだろうか!

W・キニー男爵


天の御国をキリストにとって住まいとするものはすべて、天の御国を私にとっても住まいにする。
おお、主イエスよ、来たりませ!

ジョン・ダービー


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