2020年2月23日(日)の手紙

2020年2月23日(日)


『あなたがたは、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか。もし、だれかが神の宮を壊すなら、神がその人を滅ぼされます。神の宮は聖なるものだからです。あなたがたは、その宮です。』コリント人への手紙第一3章16節~17節


あなたは主イエスが「二階の大広間」で弟子たちに語られた最後の話の中で、聖霊について数多く言及されたことを覚えているだろう。

その一つがこれだ。
「この方はあなたがたとともにおられ、また、あなたがたのうちにおられるようになるのです」。

そのとき、聖霊は彼らの内におられなかったのだろうか。
そうではないことは明らかだ。

聖霊は旧約聖書の時代に、盛んに働いておられた。
神の民の上に来られたり、特別な働きのために一部の人々の上に臨まれたことはあったが、内住し、留まることはなさらなかった。

その時代と区別されるこのクリスチャンの時代の特徴は、今や聖霊は神の民の上に臨まれるだけでなく、その内に住んでおられるという事実である。
これはクリスチャンの業績やその人柄に左右されるものではない。

この聖句は、コリントの教会にあてた手紙からの引用であることに注目してほしい。
あの教会がどんな状態にあったかは、これら二通の手紙の中で、教会に対して語られていることから知ることができる。

生活様式は低俗で、証しも乏しく、教会員は、道徳的・神学的な誤りのために責められるべきだった。

使徒パウロは、「あなたがたは、神の御霊に住んでいただくべきだということを知らないのですか。
もし、あなたがたが神に自分自身をささげさえすれば、御霊は来て、あなたの内に住まわれるでしょう」とは言っていない。

それとは反対に、彼らの内には現実に聖霊が住んでおられるのだから、それを基盤とすればもっと高潔なクリスチャン生活が送れるのではないか、と言っているのである。

彼らは自分たちの知識を自慢していたので、パウロはこう言っている。
「あなたがたは(それほど知識がありながら)、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか」。

言うまでもなく、これは深遠な奥義である。
私たちは、人がいかにして人の内に住まうことができるのか語ることはできない。
しかし、すべての偉大なる真理は深遠な奥義なのだ。

私たちはそれらを信仰によって受け止めるべきであり、そうすることで、明らかにされていることの一部を、すべてではないにしても経験することができる。

神の御霊は私たち「のうちに住んでおられる」。
すなわち、私たちとともに一時的に寄留しておられるのではなく、私たちの内に住んでおられるのである。

W・グラハム・スクロギー


a:106 t:1 y:0