2020年2月1日(土)の手紙

2020年2月1日(土)


『あなたがたに言います。それと同じように、一人の罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちの前には喜びがあるのです。ルカの福音書15章10節


私たちはクリスチャン人生において、自分自身が「生ける水」を受けることなしには、他の人にそれを伝えることはできない。
たましいをキリストに導く喜びほど、すばらしい喜びはない。
それは、母親が生まれたばかりの赤ん坊に感じる本能的な不思議な歓喜に似ている。

先日、私の大切な友人が出産直後に天国の門に入った。
だが激しい苦痛の中で彼女が口にした最初の言葉は、「赤ちゃんは元気?」だった。
それは、その不思議な歓びを初めて感じたときの震えるような感動で、愛のふれあいそのものであり、聖霊が私たちに、キリストのために勝ち取ることを許されたたましいに対する愛として与えてくださるものである。

それはまさに霊的な母性本能であり、母親の愛のすべての喜びとすべての苦痛を兼ね備えている。

親愛なる兄弟姉妹よ、あなた方は、不死の霊が与えてくれる新しいいのちが自分の血管を流れているときに感じる我を忘れるほどの喜びを知っているだろうか。
あなたの救い主のふところに抱かれた新生児のように、もはや死ぬことのない生まれたてのクリスチャンと並んでひざまずいて受ける喜びを。

あなたはこの喜びを知っているかもしれないが、すべてのクリスチャンがこの喜びを百倍も知るべきである。
それは神の御使いたちの喜びであり、天のすべての竪琴がかき鳴らされる。

もしもそれが、罪を贖われた聖徒たちの大きな喜びでないとしたら、それは間違いなく妙なことだ。

A・B・シンプソン


私たちがここに残されたのは、キリストを表すためである。
もしそうでなかったら、私たちはこの世界に対して何の役にも立たない。

エドワード・デネット


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