2020年12月7日(月)
『私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。』ヘブル人への手紙4章5節
私がしばしば疑問に思うのは、キリストに赦しといのちを求めてきた者は誰もが次のことを理解しているのだろうか、ということだ。
すなわち、このイエスが、私たちの信仰が試みにあう可能性のあるあらゆる試練や失敗や困難に出会い、そのすべてを克服されたのだということを、はっきりわかっているだろうか。
そうだ、キリストはすべてに打ち勝たれたのだ!
「罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです」。
「あなたがたのうちのだれが、わたしに罪があると責めることができますか」とキリストは訊ね、「勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました」と言っておられる。
そしてさらに「この世を支配する者が来るからです。
彼はわたしに対して何もすることができません」と断言しておられる。
イエス・キリスト
私たちが自分の人生の王座に着けるように求められているこのお方は、起こりうるすべての罪と弱さに打ち勝たれた。
主の支配されるところ、主のみこころを受け入れて従うところに、主は同じように勝利を与えてくださる。
勝利について、このことにまさる奥義はない。
神よ、感謝します、このすべての罪と弱さに打ち勝つ人生の奥義が、開かれた秘儀であることを!
それは、聖霊によって神のことばを通して私たちに明らかにさされているように、私たちの意思と心と人生とを エス・キリストのみこころに明け渡すことの内にある。
サタンは打ち負かされた敵である。
私たちの主イエス・キリストはサタンと遭遇し、打ち負かした。
キリストはサタンに打ち勝った唯一のお方だ。
だが主イエスの摂政である神の御霊の導きと抑制と力のもとに、あなたも私も同様の勝利を収めるように導かれるのだ。
聖霊は私たちにイエスの道を教え、イエスの生き方を示し、私たちがそれによって歩み、そうすることができるようにしてくださる。
だから、こう考えることは私自身のたましいといのちにとってもっとも助けになる。
すなわち、私たちの内にキリストが住んで勝利に導いてくださることを、聖霊が来て実現してくださるのだ。
主は言われました。
「御霊はわたしの栄光を現されます。わたしのものを受けて、あなたがたに伝えてくださるのです」。
それはイエスの心であり、イエスの道であり、イエスのいのちである。
J・R・S・ウィルソン
もし「一人の成熟した大人となって、キリストの満ち満ちた身丈にまで達する」なら、古い性質をよみがえらせたり、活気づけたりするようなことは意識して退けなければならない。
クリスチャンは成長して、主イエスの「似姿」である「新しく造られた者」となるだけではなく、自分の行うべきことが、いかなる形でも自分の内にある別の意志に屈することのないように注意しなければならない。
それは神から離れて自分自身へと向かわせることになるからだ。
自己は、この堕落した状態における人の心の領域であり、中心である。
しかし、たましいのうちにキリストが形造られるとき、神がすべての中心となり、源となられるのである。
J・B・ストーニー
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