2020年12月31日(木)
『私たちはあなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と来臨を知らせましたが、それは、巧みな作り話によったのではありません。私たちは、キリストの威光の目撃者として伝えたのです。』ペテロの手紙第二1章16節
クリスチャンの信仰とはそうしたものだ。
それがクリスチャンの希望というものだ。
弱い心が見る白昼夢などではない。
「巧みな作り話」などでもない。
ぐらつくことのない確かな希望であり、もっとも聖い信仰である。
空虚な人生哲学であっても、過去を論じ未来を夢想することはできるかもしれないが、クリスチャンは冷静な信仰の確信によって、過去における永遠に目を向けることができる。
それはつまり、時の始まる前、すべての時の前、万物が創造される前のことであって『初めに』ことばだけが神とともにあった時である。
そして『終わり』が来るまで、クリスチャンはあらゆる時代を超えて見続けることができる。
その終わりの時に、時間はその行程を走り尽くし、神はご自分の被造物のさなかにあって、すべてにおいてすべてとなられる。
そしてクリスチャンは神をあがめて叫ぶのだ。
「とこしえからとこしえまで あなたは神です」と。
ロバート・アンダーソン卿
神の御子よ、私は人生に疑いを抱くたびに、あなたのことを思う。
私にとってあなたは、決して老いることはない。
前世紀は時代遅れで、去年は古臭いが、あなたは古くならない。
どの時代にも遅れない。
そして私は現代人なのに、決してあなたに追いつくことはない。
ジョージ・マジソン
主 今私は何を待ち望みましょう。
私の望み それはあなたです。
夕日の影が伸びてきた。
雲が山々を厚くおおっています。
あなたが山々に触れられると それは煙を上げます。
けれど、私の人生の雲がすべてそうだったように、この厚い雲は光に縁取られています。
その密雲の頂を見上げると、そこに闇はまったくみえません。
ただ光だけが、光また光が『いこいのみぎわ』を輝き照らしているのです。
そしてその水際は……主よ、「私に命じて、水の上を歩いてあなたのところに行かせてください」と言うと、あなたは「来なさい」とおっしゃいました。
その水は光の道であって、一か所、頭上の雲のせいで光が途切れたところがありましたが、すぐにまた明るくなりました。
影はもうまったくありません。
はるか遠くまで、ほとんどすべてのものが光に包まれて見えなくなりました。
それでも私には、山々だと思えるものが見えたのです。
もっと良い故郷、すなわち天の故郷の山々が……。
エミー・カーマイケル
主イエスの恵みが、すべての者とともにありますように。
ヨハネの黙示録22章21節
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