2020年12月3日(木)の手紙

2020年12月3日(木)


『すべては、あなたがたのものです。パウロであれ、アポロであれ、ケファであれ、また世界であれ、いのちであれ、死であれ、また現在のものであれ、未来のものであれ、すべてはあなたがたのもの、あなたがたはキリストのも の、キリストは神のものです。』コリント人への手紙3章21節〜23節


次のことをよく考えて、しっかり重きを置こう。
それは、義とされた人は霊的な生活におけるすべての行為を信仰によって行いながら生きるということである。
これは実に重要な教訓なので、きわめてわかりやすい言葉によって聖書に説かれている。

すべてのことが信仰によって約束され、信仰によって受け取ることができる。
信徒たちよ、「神の相続人であり、キリストとともに共同相続人」として、いかに偉大な資産が我々に与えられているかをよく考えようではないか。

あなた方には、その資産を受け取る十分な権利があり、信仰によってそれを手に入れることができる。
だから、その偉大な相続権を活用して、日々それによって生きようではないか。

何か必要なものがあるとき、「どこでそれを手に入れたらいいかわからない」などと言ってはならない。
なぜなら、キリストが備えておられる知恵と正義、聖さと力と栄光はすべて、からだの「かしら」として持っておられ、からだの一つの「器官」であるあなた方のために、あなた方の益となるために備えておられるからだ。

そしてそのことを、みことばによって約束しておられるのである。

それならば、主に対して遠慮するのはやめよう。
確信をもって主に近づこう。
主が与えてくださるものを受け取ることは、何にもまして大きな敬意を払うことになる。

それが主に栄光を帰することになるのだ。

「ご自分の満ち満ちたものをすべて御子のうちに宿らせ」ていることを神が喜ばれたようにあなたも喜ぶなら、また自分自身に頼らず、永遠に「あなたがたの必要をすべて満たしてくださる」主によって生きることに満足するなら、それは主の頭に王冠を載せ、主はすべてを満たす完全なキリストだと告白することになるのである。

それだから、主によって生きることは主の栄光であり、そうすることはあなたの特権であり、幸せである。
霊的なものであれ世俗的なものであれ、どんな環境の中にあっても、またあなた方が置かれうるどのような状況においても、「この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受け」るためにキリストを見上げるように、あなたがたは命じられている。

そしてまた、すべての悪からあなたを救い出し、「あなたがたに、あらゆる恵みを……与え」てくださるように主にゆだねることを、命じられているのである。

あなたが天をめざして歩むその道で遭遇するすべてのことにおいて、キリストに信頼を置き、主の約束がすべて成就することを待ち望もう。

主には、まさにこの目的のために「天においても地においても、すべての権威が与えられている」のである。

試みにあったとき、古い欲望がよみがえったとき、この世と悪魔に攻撃されたとき、日々の務めに弱さや重苦しさを感じたとき、闇の中に置き去りにされたとき、迫害と困難、苦痛と貧困、病と死におびやかされたとき、強く主を信頼し、あなたの重荷を主にゆだねるのだ。

これこそ、信仰の人生である。

こうあられるので喜んであなたを救ってくださる、とした状況の中にあっても、キリストは全知全能で信じるなら、また、あなたの「必要なものを何でもあげる」と約束してくださったので主がそれを与えてくださる、と信じるなら、あなたは真のクリスチャンとして生きられるだろう。

そのことを信じてゆだねれば、あなたはそれを得、主のみことばどおりに「それはかなえられ」るだろう。

ウィリアム・ロメイン


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