2020年12月26日(土)の手紙

2020年12月26日(土)


『あなたがたのうちのだれが、自分の子がパンを求めているのに石を与えるでしょうか。魚を求めているのに、蛇を与えるでしょうか。このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちには良いものを与えることを知っているのです。それならなおのこと、天におられるあなたがたの父は、ご自分に求める者たちに、良いものを与えてくださらないことがあるでしょうか。』マタイの福音書7章9節〜11節


私たちの心や思いに明確に留めなければならないのは、これまでに完全なクリスチャン人生を送った唯一のお方はイエス・キリストであり、クリスチャン人生を生きるように神が意図された唯一のお方もイエス・キリストであることだ。

今日、あなたと私が地上で担っている唯一の役割は、その目的に対する人間の媒体を主に提供することである。
手と足と唇、愛するための心と見るための目。
それが私たちの役割であり、この特権が私たちのものとなることさえも、神の筆舌に尽くせぬ無限の慈悲である。

この事実を受け入れ、イエス・キリストがあなたを通してそのいのちを生きておられることを知るのはなんとすばらしいことであろうか。

そのいのちの限界は何か。
そのいのちの可能性は何か。
今こそ、あなたが請い求めることをやめて神を賛美しはじめるときである。

あなたは神のもとに来て、ぺこぺこと頭を下げ、神にこれをくださいとかあれをくださいと言ってお願いする必要はないのだ。

どんなときにもイエス・キリストがあなたの人生における優先権をもっておられること、あなたは神があなたに望んでおられる場所にいることを知るだけでいい。

恵みを懇願する必要はない。
前もって主に感謝する。
恵みは必ず与えられるものだからである。

イアン・トマス少佐


あなたがキリストの現在のからだに接ぎ木されるのは、主の満ち満ちたものとなって、主のみこころを実践し、主を繰り返し、他の人々に正しく紹介するためである。

このことを行うには、あなたは自分自身を明け渡さなければならない。
それは当然のことであり、確立したことである。
そうではないかね、我が友よ。

ノーマン・B・ハリソン


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