2020年12月24日(木)
『あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今見てはいないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに躍っています。』ペテロの手紙第一1章8節
『喜び』とはまぎれもなくクリスチャン的な言葉であり、クリスチャン的なものである。
喜びは幸せと表裏一体にあるものだ。
幸せは好ましい種類の出来事の結果である。
喜びは内側の深いところに源泉がある。
その泉は、たとえ何が起ころうとも決して枯れることはない。
イエスだけがその喜びを与えてくださる。
主は十字架の死の影がさしていても、喜びを抱き、内なる喜びの唄を歌っておられた。
もしも主が私たちの内で支配しておられなかったら、私たちにとって 喜び、は未知の言葉と事象になってしまうだろう。
S・D・ゴードン
喜びを追い求めることは喜びを失うことだ。
喜びを得る方法はただ一つ、喜びのことを考えずに務めの道を着実にたどることである。
そうすれば従順に従う羊のように、喜びは探し求めなくても確実に訪れ、私たちは天の国への道にいる。
神の使いである輝く髪をした喜びは、必ず私たちを出迎えてくれるのだ。
アレクサンダー・マクラレン
この世界にもたらされる喜びよ!
主は来ませり。
地よ、王を迎えまつれ。
アイザック・ワッツ
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