2020年12月16日(水)の手紙

2020年12月16日(水)


『この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。』ヨハネの福音書1章4節


神による至福の人生の奥義と実質は、その人生を享受し、生き、経験しなければ理解できない。
そのことを知性でのみ理解しようとしても、その努力は何の役にも立たないことを知るだけだ。

ある科学者が一羽の小鳥を手にしていた。
科学者はその小鳥に命があるのを見て、その命が小鳥の身体のどの部分にあるのか知りたいと思い、解剖を始めた。
その結果、科学者が探し求めていた命は謎に包まれたまま消えてしまった。

内なるいのちを単に知性で理解しようとする者は、同じ失敗に終わるだろう。
彼らが探し求めているそのいのちは、分析することで消滅してしまうのだ。

この広大な世界に比べて、人の心はほんの小さなものにすぎない。
しかし世界がどれほど大きくても、このちっぽけな心を満足させることは決してできない。

成長を続ける私たちのたましいとその容量は、無限の神によってしか満たすことができない。
湖や川が一定の水位に達するまで休みなく水が流れこむように、たましいも神によって憩うまでは平安を得られないのである。

サドゥー・スンダル・シン


クリスチャンが主の側に立てば立つほど、自分たちもあらゆることに勝ち得るだろう。

J・B・ストーニー


a:48 t:1 y:0