2020年11月6日(金)の手紙

2020年11月6日(金)


『「すべてのことが私には許されている」と言いますが、すべてが益になるわけではありません。「すべてのことが私には許されている」と言いますが、私はどんなことにも支配されはしません。』コリント人への手紙第一6章12節


生まれながらの才能があるからそれを用いるのだ、というのはまったくの偽りの法則である。

仮に、私に目を見張るばかりの力や走るスピードがあるとしよう。
私はひとつの才能で人を打ち負かし、もうひとつの才能で賞杯を手にする。

音楽はもっと洗練されたものであるかもしれないが、原理は同じだ。
私は現代の人々には、この点がいちばん重要なのだと思っている。

クリスチャンは、この世界と自然を無害なものとして受け入れることで、自分たちの道徳的な影響力を失ってきているからだ。

「すべてのことが私には許されている」。
しかし、肉的なものと霊的なものとを混同してはならないのである。

私たちは聖霊の内に歩むために、自分のエネルギーのすべてを神の恵みのもとに置き、主イエスの死を常に身体の中に留めておく必要がある。

キリストのいのちが自分の肉体の中に現されるためだ。

キリストをすべてとし、健全な目をもとう。
「あなたの目が健やかなら全身が明るく」なるからである。

逆に言えば、もし私たちの「目が悪ければ」キリストを閉め出してしまうので、キリストが神の右の座に着いておられる上にあるものを思わないからだ。

そのことは私たちにとって重要な点である。
天には幸せな愛があり、それは確固としてゆるぎないものなのだ。

ジョン・ダービー


生ける神の教会!

注意しなければならないのは、あなた自身を喜ばせてはならないということだ。
イエスもご自身を喜ばせなかったのだから。
あなた自身のためではなく、主のために、この世のためではなく、主のために生きよう。

あなたの名と神からの召命にふさわしく歩もう。
あなたをご自分の花嫁として買い取ってくださった主にふさわしく、あなたが永遠に受け継いだものにふさわしく歩むのだ。

ホレイシャス・ボナー


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