2020年11月21日(土)の手紙

2020年11月21日(土)


『実に、私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをあらかじめ備えてくださいました。』エペソ人への手紙2章10節


聖さと平安と力の奥義とは何だろうか。
神のみこころから離れた、みこころよりも優先する意思をまったくもたずに、神が「自分の前に置かれている競争を……走り続け」、神の知恵と愛によって「あらかじめ備えられた良い行い」によって歩むための奥義とは。

私は神のためにどんな良い行いをしたいのかという質問もその一つだろう。
この質問では、自我がまだ選り好みをしている。
これでは結局、自分を喜ばせ自分に仕えている。

しかし、聖なる主を見たサウロのように、「主よ、あなたは私に何をするようにお望みなのですか」と訊ねることが、真に自我を離れて神に向かうことなのだ。

もしも私たちが「自分の前に置かれている競走を走り続け」、自分が選んだのではない、神の定めた責務に従事し、神の定めた務めと難儀とにエネルギーのすべてを、しかも喜んで注ぐなら、十分な確信を得て安心することができる。

その確信とは、私たちの力は決して衰えることはなく、私たちの実は残り、私たちのいのちは、たとえ一見切れ切れなものに見えても完全なものとなり、目的の地に到達し、そしてかの日には、「忠実な者と認められる」ということなのだ。

アドルフ・サフィア


クリスチャンの内には聖霊が住んでいてくださる。
聖霊はご自分が内住しておられるクリスチャンが怠惰になることを許してはおかれず、その人を奮起させる。
すなわち、敬と敬虔、そしてあらゆる真の信仰の実践、神への愛、苦難の忍耐、祈り、神への感謝、すべての人に対する博愛の実践へとかきたててくださるのである。

マルティン・ルター


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