2020年10月5日(月)の手紙

2020年10月5日(月)


『そこで、ラハブは綱で窓から彼らをつり降ろした。彼女の家は城壁に建て込まれていて、彼女はその城壁の中に住んでいた。彼女は二人に言った。「山地の方へ行ってください。追っ手たちがあなたがたに出くわすといけませんから。彼らが引き揚げるまで、三日間そこに身を隠していてください。その後で、あなたがたが行く道を行かれたらよいでしょう。」二人は彼女に言った。「もしこのようにあなたが行わないなら、あなたが私たちに誓わせた、あなたへのこの誓いから私たちは解かれます。見なさい、私たちはこの地に入って来ます。私たちをつり降ろした窓に、この赤いひもを結び付けておきなさい。あなたの父、母、兄弟、そして、あなたの一族全員をあなたの家に集めておきなさい。」』ヨシュア記2章15節~18節


ラハブの「家は城壁に建て込まれて」いたが、その窓は街に面していなかったので、町の人々が神を忘れて犯している罪をいっさい見ることはなかった。

窓は、街を見ることはなく、目を背けていたのである。

ラハブは偵察の二人を窓からつり降ろし、彼らが逃げ出した窓に、赤いひもを結んだ。
彼女はその窓から、彼らが山地の方へ逃げて行くのを見た。
そして毎日、彼らが救いの軍隊を連れて戻ってくるのを待って、窓の外を眺めていた。

一刻の猶予もなしに確実に街に襲いかかる定めから、ラハブ自身と家にかくまっている友人たちを救い出してくれることになっていたからだ。

彼女は破滅を定められた場所から視線をそらし、待ち望む救いの軍隊の訪れを最初に見ることのできる場所を見詰めていた。

ラハブの窓は、私たちクリスチャンに何を語りかけているのだろうか。
神の御子が滅びゆく定めのこの世界から私たちを救い出すために天から下ってこられることを、強い形で思い起こさせてくれていることは間違いない。

主はすでに私たちのたましいを救ってくださった。
「赤いひも」は窓に結ばれている。
私たちはキリストの尊い血によって保護され、私たちの内には聖霊が住んでおられる。
そして今、主ご自身が来られて天の家に連れていってくださるのを待っているのだ。

私たちは、目に見える一時的なものから目をそらさなければならない。
主が私たちを天にともなうために戻って来られるときに、実際に私たちのものとなる天のすべての現実に、目を向けるべきである。

「主はわが救い主」
「主が救い主としてこられるのを、私たちは待ち望んでいます」

ウィリアム・イーストン


主が戻って来られるのを考えると心がざわつくクリスチャンは大勢いる。
彼らにとって、主が戻られることは心慰められる希望ではないのだ。

彼らは、「わたしはまた来て」という主のことばは問題なく受け入れている。
ところが、人間の完璧さを要求する律法を恵みと取り違えているので、「あなたがたをわたしのもとに迎えます」というみことばが自分たちに向けたものだ、という確信がもてないのである。

主が来られることは確実であり、すべてのクリスチャンが天にともなわれることも確実である。
それこそが、恵みによる慰めなのだから。

J・F・ストロンベック


a:75 t:1 y:0