2020年10月27日(火)
『あなたがたが知っているとおり、信仰が試されると忍耐が生まれます。』ヤコブの手紙1章3節
三代か四代にわたる先祖が全員クリスチャンだというような人は、彼らの徳を受け継いでいるかもしれない。
しかし、それがその人の人生をよい方向に影響を与えているとしても、神の前において義であるとはみなされない。
彼自身に直接与えられた聖なる生活の実ではないからである。
またこのようにして忍耐心を受け継ぐクリスチャンもいるだろう。
その人はキリストにおいては赤ん坊にすぎないかもしれないが、先輩のクリスチャンよりもゆるぎないように見える。
うまくいかないことがあっても、いつも平然としているからだ。
その人を空にするために、父なる神は生まれつきの「忍耐」がなくなる状況に彼を置かれる。
生来の忍耐という美徳で何度も失敗したあと、彼はあらゆる試練に立ち向かい、すべてを切り抜けて勝利をおさめるには、この美徳だけでは足りないことに気がつく。
こうしてその人は神に向かい、神ご自身の決して尽きることのない忍耐を与えてくださるように求めるのである。
エバン・ロバーツ
空の器をもつ人は幸いだ。
神はいつでも、その器を満たそうと待っておられる。
不幸なのは、空の器をまったくもちあわせていない人である。
ジョージ・V・ウィグラム
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