2020年10月17日(土)
『何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。』ピリピ人への手紙4章6節
あなたの祈りについて、ちょっとした実用的な助言をさせてほしい。
それは「心のこもっていない祈りを繰り返す」だけという無益な習慣を避けることだ。
キリスト教には、私たちの心が型にはまった宗教的な形式に陥る傾向についての厳粛な警告があふれている。
毎日の祈りにおいて実質的に同じ言葉を繰り返す習慣にたましいが陥ることは、きわめて重大な損失なのだ。
それはまったく真の祈りではないからだ。
私たちは「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい」という聖句を読んでいるではないか。
毎日毎日、毎週毎週、同じ形式の言葉を用いていたら、いったいどうやってそのことを可能にできるだろうか。
今日は昨日と同じではないし、明日は今日とは違う。
あなたが本当に神とともにいるなら、日々の新たな必要に敏感になるはずだ。
神は、すべての必要と思い煩いについて、私たちが神を信頼することを喜ばれる。
だから私たちは、子どものような信頼と単純なひたむきさを育んで、祈りのうちに神のもとに行こうではないか。
あなたに次のように告げておられる恵み深い神のもとに、今日の辛い状況と、明日予測される困難と混乱とを携えていくのだ。
「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。
神があなたがたのことを心配してくださるからです」。
単純にひたむきに。
長ったらしい前置きなどいらない。
何十回も聖句を引用しなければ、と思わなくていい。
子どもが親を信頼しきって必要なものを願うように、ただ願えばいいのである。
C・A・コーツ
私たちの祈りにもっと答えを得られない理由の一つは、十分に感謝していないからだ。
主はこう命じておられる。
「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい」。
この聖句には、三つのポイントがあるというのはもっともだ。
何も思い煩わないこと、あらゆる場合に祈りをささげること、すべてのことに感謝すること。
信仰は、神が語られるすべてのことに「アーメン」と言う。
信仰は無条件に神を受け入れる。
神がそうだ、と言われるなら、信仰は「アーメン、私は信じます」と答えるのである。
ドワイト・L・ムーディー
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