2020年10月16日(金)の手紙

2020年10月16日(金)


『ハレルヤ。
神の聖所で 神をほめたたえよ。
御力の大空で 神をほめたたえよ。
その大能のみわざのゆえに 神をほめたたえよ。
その比類なき偉大さにふさわしく 神をほめたたえよ。
角笛を吹き鳴らして 神をほめたたえよ。
琴と竪琴に合わせて 神をほめたたえよ。
タンバリンと踊りをもって 神をほめたたえよ。
弦をかき鳴らし笛を吹いて 神をほめたたえよ。
音の高いシンバルで 神をほめたたえよ。
鳴り響くシンバルで 神をほめたたえよ。
息のあるものはみな 主をほめたたえよ。
ハレルヤ。』詩篇150篇


私がノルウェーのホテルに滞在していたときのことだ。

宿泊客の家族の中に、幼い女の子がいた。
女の子は明らかにピアノの初心者だったが、ことあるごとに、客間でピアノの練習をする、と言ってきかなかった。

弾くのは指一本で一つの音だけ。
ほとんどが調子はずれだった。
女の子がやってくるのを見ると、誰もがそそくさと逃げ出した。

たまたま、ノルウェーの優れた音楽家の一人がホテルに泊まっていた。
彼はほかの客のように逃げ出したりせずに、椅子を出して女の子の隣に座った。
女の子が一つの音を弾くたびに、音楽家はえもいわれぬ和音を奏で、見事な伴奏を披露した。

その音が部屋の外に流れ出ると、人々は演奏を楽しむために次々に戻ってきた。
女の子がいつにもましてひどい失敗をしても、音楽家は即興で、さらにすばらしい音楽をあふれさせた。

20分ほど弾いたあとで、彼は女の子の手を取り、観客の間を歩いて「今日の午後、すてきな演奏を披露してくれた若き淑女」だと紹介した。
女の子は自分が上手に弾けたわけではないことをよくわかっていたが、誰もが彼女を褒めたたえた。

あれから何年も経つが、私はここに示されている真実に深く感動しつづけている。
私は、神の真実というピアノに向かうあの子どもなのだ。

私は一本指で演奏しようと全力を尽くしてきた。
何度も何度も何度も、私は、自分はどうしようもない落ちこぼれで不協和音しか演奏できない、と感じながら立ち去っていた。

だが同時に私は、聖霊が隣に座っておられるのにも気づいていた。
私が耳障りな音を一つ弾くたびに、聖霊は高貴な音を奏でてくださっていたのだ。

あなたが事の大小にかかわらず、主のために何かをしようとしているのに、失敗して間違った音を出すことしかできないと感じるときこそ、こう信じよう!

恵み深い聖霊が、あなたの隣であなたの不協和音をハレルヤコーラスに変えてくださっている、ということを。

F・B・マイアー


あなたは、自分の欠点をずっと見つめていても、決して変わることはできない。
絶対に変われない!

また、仲間のクリスチャンの弱点に目をやったところで、あなたは決して変わりはしない。
あなたは、主イエスの栄光をずっと見つめつづけることによってのみ、変わることができるのだ。

なぜなら、そのことを知らなくても、主イエスの栄光を見続けて生きる者たちは、「栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これは御霊なる主の働きによるのです」。

E・I


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