2020年1月6日(月)の手紙

2020年1月6日(月)


『わが神よ 私は あなたのみこころを行うことを喜びとします。あなたのみおしえは 私の心のうちにあります。』詩篇40篇8節

|神のみこころをすべて受け入れる、あるいは神のみこころと一つになることは考えもつかない、というクリスチャンは少なくない。

神のみこころを見上げる彼らの目に映るのは、神が定められた無数の命令ばかりだ。

彼らは、神のみこころをすべて行う、あるいは受け入れられるようになるには、今より千倍も「恵みによって強くなり」聖くならなければならない、と思いこんでいる。
困難は神のみこころを誤解していることから来ている、ということがわかっていないのだ。

彼らは神の意思を、自分たちの生来の意思とは相入れないものとして見ており、自分の意思が神のみこころを喜ぶことは絶対にないと思っている。

クリスチャンは新たにされた意思をもっていることを、彼らは忘れているのだ。
この新たな意思が神のみこころを喜ぶのは、それが神のみこころから生まれたからだ。

この新たな意思は、神のみこころの麗しさと栄光を見て、「神のみこころにしたが」う。

もしも彼らが本当に神の子どもであるなら、子どもの精神の最初の衝動は、天の父のみこころを行うことに違いない。
そして彼らがなさねばならないのは、この子どもの精神にすべてを心からゆだねることだけであり、神のみこころを自分のものとして受け入れることを恐れる必要などないのである。

アンドリュー・マーレー


あなた自身の意思ではなく、神のみこころを行うようにしなさい。
人生の海に、あなた自身の選んだ港をめざして乗り出してはならない。

自作の海図に導かれるままに、おのれの利己的な喜びや野心の力に駆りたてられて航海しないことだ。

神のもとに来て、信じて疑わぬ撤回不能の、すべてを明け渡す一度きりの行為によって、あなたの人生を神にゆだねるのだ。
そうすればあなたは、自分の人生に対する神のみこころを確実に知り、見るようになるだろう。

私たちは自分の人生について、おのれの意思ではなく神のみこころを選びはじめたとたん、露ほどの疑いもなく、神のみこころを知るようになるのである。

ジェームズ・マッコンキー


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