2020年1月31日(金)の手紙

2020年1月31日(金)


『永久に死を呑み込まれる。神である主は、すべての顔から涙をぬぐい取り、全地の上からご自分の民の恥辱を取り除かれる。主がそう語られたのだ。その日、人は言う。「見よ。この方こそ、待ち望んでいた私たちの神。私たちを救ってくださる。この方こそ、私たちが待ち望んでいた主。その御救いを楽しみ喜ぼう。」イザヤ書25章8節~9節


どのたましいにも、こう言えるときが来るはずです。
「見よ。この方こそ、待ち望んでいた私たちの神。私たちを救ってくださる。この方こそ、私たちが待ち望んでいた主。その御救いを楽しみ喜ぼう」と。

人生におけるすべての体験を通して、これこそが私たちの待ちわびているものであり、私たちの試練や訓練はすべてこのことに私たちを導いてくれるためのものなのです。

私たちがこうして待っているのは、神の側に何か遅れの原因があるからではなく、私たち自身の側に遅れがあるからです。
神は常にご自身が私たちの喜びとなることを求めておられるので、私たちがいっさいの世俗的な喜びから離れてただ神のみに喜びを見出そうとするまでは、まだ神を待たなければならないのです。

私たちは、このように遅れているのは完全に神のせいだと思っていますが、実は、待たなければならないのは、神のほうが私たちを待っておられるからなのです。

神のもとに向かうことは、何一つ不可解なことではありません。
それはただ、私たちの想いを神に向け、心を神にゆだねて安らぎ、ほかのすべての憩いの場から遠ざかることなのですから。

それは自分が置かれている状況や困難、経験を見つめて考え、くよくよ悩んではいけないということ。
私たちが見つめて考えなければいけないのは、主のことなのです。

「私はこのことについてどう感じているか」と自分自身に訊ねるのではなく、「主はどう感じておられるのか」と問わなければなりません。
「私はどう対処したらいいのか」ではなく、「神はどう対処してくださるだろうか」と問わなければならないのです。

ハンナ・ホワイトール・スミス


神はその限りない恵みによって、神のほうから先に、私たちが神から受け継ぐものをキリストを通してもっと豊かに経験させてくださいます。

ですから主イエスは、あなたの人生でまだ明け渡していないすべての部屋のドアの外に立って、中に入ることを求めておられます。
主がお入りになるためには、ドアは内側から開かれなければなりません。
ルース・パクソン


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