2020年1月28日(火)の手紙

2020年1月28日(火)


『わたしを信じる者は、わたしが行うわざを行い、さらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです。』ヨハネの福音書14章12節


キリストは信ずる者をご自身に、ご自身の内にと招いておられる。
これは信者が生活と働きとにおいて、キリストと密接に結びつくためである。
キリストは、ご自身と私たちとを同一のものと見なしておられるのだ。

この世での主のあり方を、この世での私たちのあり方とすること。
主はこの世の光であり、私たちにもその同じ立場を与えてくださった。

主と同じく、私たちは証し人であり、聖職者であり、王である。
父なる神がキリストを違わされたように、キリストが私たちを遣わされる。

主は私たちを、いのちと力とがもっとも深く結びついた状態へと引き上げたいと望んでおられる。

弟子たちが、キリストのことばで「いちじくの木が枯れ」たのに驚いたとき、救い主は言われた。
「神を信じなさい」と。

キリストに結びつくことで私たちに「からし種ほどの信仰があるなら、この山に『ここからあそこに移れ」と言えば移るようになる。
私たちに不可能なことは何一つなくなるだろう。

聖霊は、神の子供としていただくための聖霊として私たちに与えられている。
私たちは単に子供という立場にいるだけではなく、まぎれもない真実の神の子供なのである。
私たちを本当の子供として選んでくださったのだ。

これに匹敵するものは地上の領域、自然な状態にはまったくない。
キリストは父なる神のひとり子であり、私たちはキリストによって真に神の子供となる。
なぜなら私たちは神から生まれ、キリストと一体だからだ。

信徒たちよ、考えてみなさい。
父なる神の内におられる喜びと親交の霊は、かつてキリストの内におられた。
そして今、あなたの内にもおられる。
あなたは、父なる神が常にあなたとともにいて、限りない愛で愛してくださっていることを知っているはずだ。

それだから、キリストにしっかりとつかまり、救い主と信じて、主とともにすべての恐れを乗り越え、地上のあらゆる被造物を乗り越えて、神の子という天の領域に入り、信仰を十分に確信して、「父よ(アバ)」と呼ぼうではないか。
それから、子なる神だけが与えることのできる、神の息子と娘たちだけが有する自由の聖霊をもって、地と人間とのもとに、奉仕をし、苦しむために戻るのだ。

もしも苦難のときに神のみこころを行うとしたら、それは労苦でも束縛でもなく、キリストにとってそうだったように、「乳」ではなく「固い食物」 …あなたが天の御国に行くまで、あなたの人生にとって力となり活力を回復させるものとなるだろう。

そして天の国に入ったとき、あなたは完全なる真の自由を得て、神のみこころがあなたの意思となり、あなたの内にあるものすべてで神の聖なる御名をあがめるのである。

アドルフ・サフィア


私たちが「御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められた」とは、なんとすばらしい恵みであることか。
神が私たちについて抱いておられる至高の思いがクリスチャンにほとんど知られていないのは、実に悲しいことだと私は思う。

キリストとの一致ほど理解されることの少ない真実を、私はほかに知らないからだ。

J・B・ストーニー


主イエスこそ、クリスチャンのいのちそのものであり、聖霊は主を啓示し、主によるすべてのものを働かせ、私たちの内に主を再現するために、私たちのたましいの内に住んでおられる。

心に留めておかねばならないのは、神の視点からすると、働きよりも気高い何かがあることだ。
それはキリストに似ること。
それが私たちの父なる神の目的であり、みわざなのである。

アンドリュー・マーレー


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