2020年1月24日(金)の手紙

2020年1月24日(金)


『私はすぐためらわずに あなたの仰せを守りました。』詩篇119篇60節


神に先立って走るほど急いではならない。

イスラエルの民はヨルダン川を渡るとき、自分たちと契約の箱の間に長い距離を置くように命じられた。
それは彼らの行くべき道を知るためだった。
彼らは「今まで、この道を通ったことがないからだ」。

私たちがせっかちに神のあとを追いかけると、道に迷いやすくなる。
神に十分に前を進んでいただこう。
そうすれば、神があなたにどの道を行くように望んでおられるか、歩き出す前に確信がもてるからだ。

そしてもし神が望んでおられるのがどの道なのかはっきりわからないときは、今は自分がどこに行くことも神は望んでおられないのだ、と確信しよう。

私たちは、現在をきつく握りしめすぎないようにしなければならない。
神のみこころならば、いつでも自分たちのテントをたたんで旅立てるように備えておくためだ。
ずっとその場所にいるものと思いこんだり、嵐でも来なければ引き抜けないほど深く根を張るようなことがあってはならない。

キリストにしっかりと視線をすえる者たちにとって、神が彼らをそこから動かそうとしておられる現在ほど、新たな状況に入れていただくのにふさわしいときはない。

その場所を離れるのは辛い。
たとえ砂漠の中であっても、あまりにも長くそこで野営していれば、我が家のように思えてくる。
私たちは砂の上の黒い灰の輪になごり惜し気な目を向けることだろう。
そこには、私たちが燃やした小さなたき火が楽しそうに炎を上げていたからだ。

重い足取りで再びとぼとぼと歩きはじめることで、足は痛み、心はさらに痛むかもしれない。
だが私たちは、神の定めた変化を喜んで受け入れるように努めなければならない。

失ってはいけないものは何も後に残すことはない、また最初の見た目がどんなに厳しく辛いものであっても、恵みをもたらさないものとは何一つ出くわさない、という確信を抱いて。

私たちはまた即座に従う習慣を養う必要がある。
「私はすぐためらわずにあなたの仰せを守りました」は、唯一の安全なモットーなのだ。

従うのをぐずぐずためらっていると、不従順の始まりにつながることが多いからだ。
自分の務めを確信していれば、それを行うのは何よりもたやすくなる。

そうすれば、私たちを大波に乗せ、障害物を越えさせてくれる推進力が働く。

しかるに、ためらって従うのが遅れれば浅瀬に取り残されてしまう。
火の柱に従うのなら、すぐに従わなければならない。

神の指示を待ちかまえる心、信仰とともに常識を用いて、もつれた大小の難問をときほぐす心。
「起きよ!ここはあなたの休息所ではない」という指令を聞き逃さないように、どれほど快くても現在にとらわれないようにしている心。

そんな心ならば、次の条件を満たしていることになる。
つまり、もしその条件を守るなら、神が正しい道によって私たちを導き、ついには住まいのある都に連れていってくださることを確信できるのだ。

アレクサンダー・マクラレン


もし私たちが神を待ち受けているなら、何の危険もない。
もし猛進するなら、神はその結果がどうなるかを私たちに見せなければならない。

ジョン・ダービー


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