2020年1月17日(金)の手紙

2020年1月17日(金)


『愛する者たち。自分の心が責めないなら、私たちは神の御前に確信を持つことができます。』ヨハネの手紙第一3章21節


『私たちの兄弟たちの告発者、昼も夜も私たちの神の御前で訴える者が、投げ落とされたからである。兄弟たちは、子羊の血と、自分たちの証しのことばのゆえに竜に打ち勝った。』ヨハネの黙示録12章10節~11節

私たちが「大胆に神に近づくことができ」るのは、「自分の心が責めない」ときだけです。
敵対者はこのことを知っており、「私たちの兄弟たちの告発者」も同様に、「神の御前」で信徒を非難しようとしているのです。

この場合、必要となるのは信徒の側の決断と、「子羊の血」の力を知っていることです。
主イエス・キリストが誠実な証人であられること、ご自分に属する者たちがみこころからはずれれば即座に誠実に告げてくださることを、心に留めようではありませんか。

主の、ご自分の子供たちに対する扱いは常に明確なので、主と親しくふれあっているたましいは、主が良心の「かすかな細い声」で語られるとき、すぐにわかります。
そしてすみやかにお従いして、尊い血によるきよめを求めるはずです。

悪しき者の責めは漠然としたものであることが多いので、クリスチャンは常に欠かさず主の血によるきよめを求めて対処しなければなりません。
同時に、疑わしいことは主におゆだねすることによって対処すべきです。

そして主が告発者から来るものを取り除いてくださり、主ご自身から来るものをすべて深め、新たにしてくださることを信じましょう。
「胸には正義の胸当てを着け」つづけて、敵対者から心を守るのです。

ジェシー・ペン=ルイス


ときおり私は、罪を犯したあとに、神の手からきつい懲らしめがあるものと待ちかまえることがある。
それなのに次に神からしていただいたことは、神の恵みを発見することだった。

ジョン・バニヤン


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