2020年1月13日(月)の手紙

2020年1月13日(月)


『ロトの妻のことを思い出しなさい。自分のいのちを救おうと努める者はそれを失います。』ルカの福音書17章32節~33節


ロトの妻はソドムの町を去ったのではなかったか。
確かに去ったのだ。

しかし、彼女の肉体は依然としてソドムの甘美な悦楽に養われており、心もまたソドムを離れず、ソドムを失っていなかった。

神にとって、ソドムの町は灰になるにふわさしいものでしかなかったが、ロトの妻には依然として救う価値のあるものだった。
彼女はまだ天の火から「自分の“いのち”を救おうと」していた。

身体的な命ではない。
もうすでに町の外に逃れていたのだから。
彼女の欲するもの、ソドムに残された世界のものを救おうとしたのだった。

彼女はソドムの生き方をあまりにも愛し、求めるがゆえに振り返り、それを“すべて失った”。
つまり、ソドムでの生活とまさに自分の身体的な命、自分のすべてを失ったのだ。

そこに彼女は、塩の柱として立つことになった。
堕落した人間の肉的なものを恋いこがれる者への、外面的な警告として。

わが友よ、主は来られる。
あなたの人生はどうだろうか。
聖霊によって生きているだろうか。

ああ、われわれを肉的なものに練りつけるすべての関係を断ち切る十字架の力よ!
私たちの負債は聖霊に対してのみある。
あなたの人生を十字架で満たし、十字架にかかってくださったお方に、自分自身を大胆に明け渡すのだ。
なぜなら、十字架にかかった主のいのちに対して、肉的なものはひとかけらの力ももっていないからである。

十字架に捕らえられて、肉的なものの虜になっている状態から切り離していただこうではないか。

これまで次のように言われてきた。
「すべての強い確信がついには私たちを捕らえます。
それは私たちを圧倒し、取り込み、ほかのすべてのものから容赦なく切り離します」。

あなたの人生もそんなふうに十字架に捕らえられているだろうか。

もしそうしてきたのなら、あなたはもうこれ以上、自己中心的には生きられなくなる。
むしろ、決心の固い昔の聖徒とともにこう叫ぶことだろう。

「ああ、わが神よ、あなたがあわれみをかけてくださった者の叫びをお聞きください。
キリストが私のために贖い取ってくださったものは何でもすべて受け入れられるように、私の心を整えてください。
私がそれを欠かさないようにしてください。」

L・E・マクスウェル


地球上でもっともみじめな人間は、どちらの世界をも楽しもうとしているクリスチャンである。

エドワード・デネット


私が何よりも喜んでいるのは、キリストが私の偶像を一つ残らず粉々に砕いてくださることである。
キリストが私の愛を強く求め、私の愛のすべてをご自分のものとしてくださるのを見て、私のキリストへの愛は一新されるのだ。

サミュエル・ラザフォード


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