2019年9月4日(水)の手紙

2019年9月4日(水)


『滅びる人々にとっては、死から出て死に至らせる香りであり、救われる人々にとっては、いのちから出ていのちに至らせる香りです。このような務めにふさわしい人は、いったいだれでしょうか。』コリント人への手紙第二2章16節


過去に受けた試練、また将来受ける可能性のある試練に関して神の恵みを信じることは簡単なことです。
しかし、差し迫った必要性に対しても神の恵みと導きを信じられることが本当時の信仰です。

信徒のみなさん、 恵みは今十分に与えられているではありませんか。
今遭っている試練が全く新しい試練だ、などと言ってはなりません。
しかし、あなたがそう思うのであれば、神の恵みは常に新鮮であることを忘れないでください。

あるいは、あり得ない試練が降りかかった、と不平を言ってもなりません。
しかし、もしそう考えるなら、その後に試練に立ち向かうための祝福が用意されていることを思い起こしてください。

肉体の棘が不可解であるからといって恐れおののいてはなりません。
もしそうであるなら、恵みも不可解であることを忘れないでください。
神秘は神秘と遭遇するのです。

現在であれ、またどんな時であれ、すべては生かされている現在と天へと召される途上において起こっています。
神の恵みはその時点において常に十分なのです。

この十分ということばは、何らの制限もなしに宣言されています。
このように主イエスは私たちを十分に支え、十分に力づけ、豊かに慰め、試練を十分に有用なものにしてくださいます。
さらには、勝利する力を十分に与えられ、多くの試練から速やかに助け出され、ついには天国へと導かれます。

良いものはどんなことであれ、神の恵みによって与えられ、害になるものはどんなことであれ、神の恵みによって避けることができるようにと導かれます。

必要なものはどんなこと、またどんなものであれ、神の恵みによって与えられます。
それがあなたにとって有益なものであれば、それらは神の恵みによって与えられたと信じてください。
避けたいことはどんなことであれ、神の知恵が支配するなら、神の恵みによって避けることができるように導かれるのです。

十分であることをことばで言い表すことは不可能です。
それは私にとってむしろ喜ばしいことです。
そのことが可能であれば、それは有限なものになってしまいます。

ですから、それをことばで表現することは決してできません。
神に栄光がありますように、と祈るほかありません。
十分とは尽きることがないという意味だからです。

私たちの要望が大きすぎるということはあり得ないのです。
なぜなら神は無限の方だからです。

God Bless You!!


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