2019年9月29日(日)の手紙

2019年9月29日(日)


『終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。』エペソ人への手紙6章10節


アブラハムの信仰は神によって厳しく試みられました。
そのため主なる神の大天使は「あなたが神を恐れていることがよく分かった」と彼に伝えたのです。

全能の神はこのことをすでに知っておられました。
しかし、神はアブラハムを試みることによって、そのことが真実かどうかを確かめようとなさいました。

私たちも同じように試みを受けることがあるのです。

神の軍隊にはただ平和な時のためにだけ用意された兵士などはいません。
ですから、どんな人も苦難を忍ぶべきです。
勇気が試みられ、証明されなければなりません。

神の軍船は十分な整備を受けることなしに船出することは決してありません。
どんな海洋でも航海できることが証明されて初めて、長い航海へと出航するのです。

厳しい試練を経験した者でなければ、厳しい苦難の中にいる人たちを助けることはできません。
もし私たちがガラスケースの中に置かれたままであれば、成長することはないでしょう。

また、もし自分自身何らかの心の傷を負い、罪を自覚することがなければ、隣人の罪を許せるという寛大さを養うことは難しいのです。
苦しむことがなければ、私たちは忍耐力を養うことはできません。

試練の風が荒れ狂うなかで初めて、私たちの内に寛大な心が養われます。
信徒の成長は厳しい経験を通して与えられるのです。
使徒パウロは「主にあって、その大能の力によって強められなさい」と勧めます。

キリスト者のみなさん。
サタンがあなたがたを試みるとき、世の力にすがるのではなく、神が与えようとしておられる見えない恵みをしっかりととらえてください。

尊い神の御言葉の種を蒔く器として、試みを受けたことも、心に傷を受けたこともなかったあなたが神に用いられることはあり得ることです。
しかし、試練があなたを優しくし、そして、繊細にするまでは、神があなたを失意の中にある人たちに仕える者として用いることはありません。

現在のあなたの苦しい経験は将来あなたに十倍の喜びを与えるために必要な備えなのです。
試みられることがなければ、だれも勝利を得ることはできません。

しかし、神の国の規則には、戦い、王冠、対立、そして征服ということばはどこにも見当たらないのです。

「そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。
今しばらくの間、さまざまな試練の中で悲しまなければならないのですが、試練で試されたあなたがたの信仰は、火で精錬されてもなお朽ちていく金よりも高価であり、イエス・キリストが現れるとき、称賛と栄光と誉れをもたらします。

あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今見てはいないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに躍っています」と言われているではありませんか。

God Bless You!!


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