2019年9月19日(木)の手紙

2019年9月19日(木)


『ですから私は、キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜んでいます。というのは、私が弱いときにこそ、私は強いからです。』コリント人への手紙第二2章10節


苦難から逃れることを安易に求めてはなりません。
また安楽さ、心地良さ、その他どんな形の幸いをも安易に求めてはなりません。

「しかし主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである』と言われました。
ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。

ですから私は、キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜んでいます。
というのは、私が弱いときにこそ、私は強いからです」と言われている、この慰めに満ちた御言葉を覚えていれば、それで十分なのです。

この教えをくり返し読み直してください。
あなたを最も愛する方があなたを見つめ、そしておっしゃいます。

「わたしの愛はあなたに対して十分です」と。

このことを信じてください。
もしあなたが現在の苦難から救ってくださいと三度も主に願うとすれば、主は「どうしてそんなに何度も求めるのですか。
わたしの恵みは十分に与えられているではないか」と答えることでしょう。

「主よ、確かにそのとおりです。」
たとえ私が貧しく、そして、さらに貧しくなることをあなたが私に求めるとしても、それでも、私にはあなたの愛が十分に与えられていますから、私は満足です。

たとえ私が病気であっても、あなたが私を訪ね、あなたの愛の心を示してくだされば、あなたの愛はそれで十分示されています。

たとえ人々が私を迫害し、見捨てることがあっても、あなたの愛が私を支えてくださるのであれば、私は喜んで耐えることができます。

私のことをだれも気に留めることなく取り残されることがあるとしても、あるいは、私の父、母が私を見捨てることがあるとしても、あらゆる友人が裏切り者のユダのようであることがわかったとしても、それでもあなたの愛は私に対して十分に与えられているのです。

使徒パウロがごく単純に、そして、自然な意味においてこれらの教えを理解したとき、この教えがどれほど彼に慰めを与えたかについて、あなたは理解できますか。

主は、「おお、パウロよ、わたしは異邦人の間でわたしの名を証しするためにあなたを選ばれた器とした。
それで十分ではないか。
世界が造られる前からあなたを愛し、尊い血をもってあなたを贖った。

冒漬者だったときにあなたを召し、その心を変え、わたしを愛する者にした。
そして、今日まであなたを支えてきたではないか。
だから、無限の愛をもって、最後まであなたを支えよう。
わたしの愛はあなたに対して十分なのだ。

この苦難から逃れようと求めてはならない。
弱さや試練から救い出されることを求めてはならない。
それらによって、わたしの恵みを十分に楽しむことができるようになるのだから」と言われるはずです。

God Bless You!!


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