2019年9月17日(火)
『しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしのカは弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストのカが私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。』コリント人への手紙第二12章9節
私は自分の力をはるかに超えた課題に何度も挑戦したことがあります。
しかし、主に信頼したゆえに、ほとんど失敗することはありませんでした。
教会としても神のために大いなる事業を実行することを躊躇しませんでした。
そして、提案したすべてのことを成し遂げました。
多くの企ての中で神からの援助、支援、助力を懸命に求めました。
神は私の祈りを聞いてくださったのです。
私が求めることはすべて神が与えてくださるであろう、との確信をもって神の前に自分の状況を申し上げるのが習慣となったのは、ときどきでも、一度や二度のことでもなく、たびたびのことでした。
それはおそらくということでもなく、可能性ということでもありません。
主が応えてくださることを私は十分に理解していますし、決して疑うことはありません。
疑うのは愚かなことです。
てこを用いることによって重い物を持ち上げることができるように、祈ることによって神から何らかの恵みをいただくことができます。
雨雲が雨を降らすように、祈ることによって祝福が与えられるのです。
春になると一面に花が咲くように、熱心に祈ることによってあわれみが注がれます。
日々の労働は必ず報いの実を与えてくれます。
しかし、そのほとんどが執り成しの祈りの働きによるものです。
これは確かなことであり、私はそのことによって豊かな実を収穫することができました。
私は金銭の力を信頼しています。
金銭を得ることによって、必要な物を手に入れることができたからです。
同様に、私は神の約束を信じています。
今もそうです。
というのは、神が私の祈りを聞いてくださったからです。
しかし、それは神の意志に従うことによって与えられることを忘れてはなりません。
祈るときには、「わたしが望むようにではなく、あなたが望まれるままに、なさってください」。
この祈りを付け加えることなしに祈ってはなりません。
神は必ずしも私たちが求めるものを文字どおりすべて与えることはありません。
しかし、神は私たちにとって最も良いと思われるものを与えてくださいます。
もし主が豊かなあわれみを与えてくださらなければ、私たちは銀貨を求めることでしょう。
しかし、神はそれ以上に金貨を与えてくださいます。
たとえ、主なる神が私たちの肉体の棘を取り去ってくださらないとしても、主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。
わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われるのです。
God Bless You!!
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