2019年8月7日(水)の手紙

2019年8月7日(水)


『まことに、まことに、あなたがたに言います。だれでもわたのことばを守るなら、その人はいつまでも決して死を見ることがありません。』ヨハネの福音書8章51節


あなたがたの中には、生きている間に主が来られるかもしれない、という信仰によって慰めを受け、歩んでいる人たちがいるはずです。
あなたがたは永遠に墓の中で眠るのではなく、あるとき一瞬のうちに、瞬く間に変えられます。

キリスト者にとって、主が再び来られる再臨への希望は喜びに満ちあふれた希望の一つなのです。
しかし、主が再び来られるときに生きていることが重要なことだとは思いません。
死を経験することよりも、変えられることに重要な優先権があるのでしょうか。

「生きている私たちは、主の来臨まで残っているなら、眠った人たちより先になることは決してありません」。
これは重要な真理です。
たとえ私が変えられる前に、死ぬことがあるとしても、私は死において確かに主キリストとの永遠の交わりをいただけると告白できるのです。

これは生き残る聖徒たちが決して味わうことのできない尊い経験です。
やがてやって来るそのときに主の死のことを思い、「私たちも死に、そして、再びよみがえる」と告白できるとき、主キリストが何と尊いお方となることでしょうか。

主の再臨の時、生き残っている人たちが、主と同じように死を経験した人たちより優先されることはありません。
主の恵み深い再臨の前に眠りについた人たちのために深く悲しむ必要はないのです。
なぜなら、主は「だれでもわたしのことばを守るなら、その人はいつまでも決して死を見ることがありません」と言われたからです。

これは主の再臨の時に生き残っている人たちのためだけではなく、主のことばを今もしっかりと守っているすべての人たちのための教えです。
そのような人たちは、たとえ墓に送られることがあるとしても、決して死を見ることがない者とされるのです。

God Bless You!!


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