2019年8月6日(火)の手紙

2019年8月6日(火)


『まことに、まことに、あなたがたに言います。死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。それを聞く者は生きます。』ヨハネの福音書5章25節


私は周りにいる人たちの人生の歩みを、自分の想像力をも加えてつぶさに観察し、「人とは死につつある被造物である」と言ってきました。
これは常に変わらない真理です。

しかし、人はしばしばそのことを忘れます。
ところが、大切な人が亡くなると、これが真実であることにあらためて気づかされるのです。

このことを考えると、私は自分の前を通り過ぎて行く行列を見ているような気がしてなりません。
通り過ぎて行った多くの人を思い起こします。
それは神の民の長い行列です。

ある人は松明を高く掲げ、他の人は鞘から抜いた刀を持って行進しています。
中には弱く、衰弱し、元気な人に助けられている病人もいます。
彼らは通り過ぎて行ってしまいました。
二度と再びこのところで見ることも、会うこともありません。

あなたがたもいずれそこを通り過ぎて行きます。
そして、また別の多くの人がやって来ます。
しかし、彼らもまたたちまち去って行きます。

私はこのような行列を見つめていると言いました。
しかし、それは正確ではありません。
というのは、私もその行列の中に加わっていたからです。
私もこの人たちと一緒に行進していたのです。

私たちは影のようなものであり、束の間の存在でしかありません。
しかも、霧務のようなものでしかないのです。
そして、雲の上に描かれた絵のようなものです。

私たちはかろうじて生きている存在にすぎません。
というのは、人は生まれたその瞬間から、死に向かって歩んでいるからです。
この地上は生きている者の世界ではありません。
この世は死に向かって歩んでいる者の世界です。

しかし、真実の生き生きとした世界は、死という冷たい川のかなたに存在しています。
この地上には数えきれないほどの墓地があり、死がすべてを支配しているのです。

いいえ!
これも真実ではありません。
死を支配する方がおられるからです。

死は生ける神を支配する力をもってはいないのです。
死もまた神のしもべでしかありません。

私たちが真実の命に移るのは死を通過することによってです。
贖ってくださった方の死の力によって、私たちは滅びから救われ、死の様相を帯びるあらゆるものから引き離され、主イエスのおられるところへと向かうことができるのです。

主イエス・キリストは、昨日も今日も、いつまでも、同じです。

God Bless You!!


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