2019年8月5日(月)の手紙

2019年8月5日(月)


『まことに、主まことに、あなたがたに言います。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています。』ヨハネの福音書5章24節


死は人が行き着く最後の到達点です。
しかし、信徒が死ぬ日、死に向かう日はいずれ永遠になくなります。
そして、神と聖徒たちには決して死ぬことのない日が与えられるのです。

人生は戦いであり、労苦に満ちています。
しかし、死は人生の労苦を終わらせます。
死は安息であり、勝利の時です。

私たちは日々罪を犯し続けていますが、死によってそれも終わります。
神がほめたたえられますように。

不正行為や罪が私たちに、日々まとわりつきます。
しかし、それらは天国にまでついて来ることはありません。

人生は願望、ため息、涙、衰弱の連続であり、不満と欲求に満ち満ちています。
天国はすべてを心ゆくまで享受できるところ、不足を感じないところ、神にあって自分が完全に喜ぶことのできるところです。

人生は失敗、失望、そして後悔でいっぱいです。
しかし、これらも死の到来とともに終わります。
栄光の世界は大いなる満足感とともに、また充足感とともにやって来るからです。

私たちの死の日は、癒しの日となるでしょう。
最後の医師である主がおいでになるまで決して癒されない病があります。
しかし、そのとき、主が優しく私たちに触れてくださることによって、それらの病は完全に癒されます。

すべての弱さ、病が終わりの時には消え去るのです。

目の見えない姉妹よ、あなたの目は開かれるでしょう。
聴覚を失った人よ、あなたは天使の歌を聞くことになるでしょう。
足の不自由な人はダンスを楽しむようになるでしょう。

あなたが欠陥を身に帯びることは全くなくなるでしょう。
死は老人のすべての病を癒すのです。

死の日にはすべての損失は消え失せます。
人生はさまざまな損失から成り立っています。
しかし、死によって損失を受けるものは何もなくなるのです。

人生は十字架の苦しみに満ち満ちています。
しかし、死はその十字架を終わらせる十字架です。
死の日は最良の日々の始まりの日となるのです。

God Bless You!!


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