2019年8月10日(土)の手紙

2019年8月10日(土)


『わたしの父がわたしに与えてくださった者は、すべてにまさって大切です。だれも彼らを、父の手から奪い去ることはできません。』ヨハネの福音書10章29節


私たち聖徒は確かな立場を与えられ、そこで守られています。
しかもそこは栄光あふれる場所です。
なぜなら、私たちは主の御手の中に置かれているからです。

そこには豊かな嗣業が蓄えられています。
主キリストがその民をしっかりと支え、御手の中で守っておられるからです。

さらには、「見よ、わたしは手のひらにあなたを刻んだ。
あなたの城壁は、いつもわたしの前にある」と言われているように、そこは愛に満ちた場です。
そして、そこは思慮分別の場です。
なぜなら、私たちは、今は、自分の手足を義の奴隷としてささげて、聖潔に向かって進んでいるからです。

そのうえ、「私は あなたが行く道で/あなたを教え あなたを諭そう。
あなたに目を留め 助言を与えよう」とあるように、そこは道案内の場です。
また砦であり、逃れ場です。

ですから、私たちは決して滅びることはありません。
だれも主の御手から私たちを引き離すことはできないのです。

矢が勇者によって用いられるように、また宝石が花嫁によって用いられているように、私たちは主の御手の中で守られ、用いられます。
私たちは主の御手にはめられている指輪なのです。

ヨハネの福音書10章28節は、私たちを主の御手から引き離す者が存在することを暗示しています。
ある者は時に選びの民を騙すために立ち上がり、しるしと不思議な業を示します。
恐ろしい迫害者が神の民を脅迫し、背教へと導きます。

絞滑な誘惑者が… 地獄のやくざ者、地獄に落ちたライオンのような悪党… 私たちを滅びへと引きずり込もうとしています。
私たち自身の魂さえもが私たちを主の御手から引き離そうとします。
しかし「だれも彼らを、父の手から奪い去ることはできません」。

「私はこう確信しています。
死も、いのちも、御使いたちも、支配者たちも、今あるものも、後に来るものも、力あるものも、高いところにあるものも、深いところにあるものも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません」。

どんな人も、悪魔さえも、考えられるものはすべて、どんなものも主の御手から私たちを引き離すことはできません。
どんな境遇の中にあってどんな計画によっても、どんな人も、神に愛されている私たちの特別な立場、神の嗣業である聖徒としての立場、また神に守られている神の子である立場を取り消すことはできないのです。

何と幸いな約束ではないでしょうか。

God Bless You!!


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