2019年7月3日(水)の手紙

2019年7月3日(水)


『自分のために、地上に宝を蓄えるのはやめなさい。そこでは虫やさびで傷物になり、盗人が壁に穴を開けて盗みます。』マタイの福音書6章19節


あなたが神に仕えるとき、報いを望んではなりません。
そして、人々から誤解を受けたり、疑われたり、非難を受けたりすることがないように心がけなさい。
この世は清い生活を高く評価することができないからです。

最も甘い果物は鳥についばまれ、高い山は嵐による被害も大きいのです。
だれにも好まれる性格の人は、また多くの批判を受ける可能性があります。

もしあなたが多くの人を主キリストに導くことに成功すれば、利己主義者、人気取り、といった非難を受けるかもしれません。
あなたは誤り伝えられ、笑われ、漫画化され、世の人々からは愚か者とみなされるかもしれません。

たとえあなたが神に仕えるとしても、この世にあって勝ち取る冠はその中にサファイアよりも大釘を、エメラルドよりも野ばらを多く含んでいる可能性が高いのです。

しかし、もしそれが頭上に置かれることがあれば、神の恩恵を祈り求めなさい。
主と同じようになれることを誇らしい喜びとしなさい。
そして、心の中でこう言いなさい。

「この不名誉含を私は不名誉とは思わない。
世の人々は恥ずべきことは全部私のせいだと言うかもしれない。
しかし、私は恥ずかしいとは思わない。

私は貶められている。
しかし、自分の価値が貶められているわけではない。
彼らは軽蔑の目をもって私を見るかもしれない。
しかし、私自身が卑しむべき者ではないのだ」と。

しかしながら私は、苦労するために苦労している人たち、たとえば、ただ労働を増やすために労働している人たちを数多く知っています。
そうすることによって彼らは安易に裕福になろうとするのです。
富をもたらすための重荷をたくさん背負い、思い悩み、骨折り苦労し、自分自身を苦しめています。

しかし、彼らはこの世の偉大さという棘のある冠を身に着けるために自分自身を傷つけているのです。
自分に災いを招くことのできる方法であればいくらでも見つけ出すことができます。

みなさん、あなたがたはこう言うでしょうか。
「もし主が私に代わって茨の冠を身に着けられたのであれば、どうして私がそれを身に着けなければならないのですか」と。

主イエスはあなたがたの病を自ら担い、あなたがたの痛みと悲しみとを自ら背負ってくださいました。
それは、あなたがたが幸いな者となるためであり、主の命令に従うことができるためでした。

主は「ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。
明日のことは明日が心配します」と言っておられます。

God Bless You!!


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