2019年7月29日(月)の手紙

2019年7月29日(月)


『あなたがたのうちだれが、心配したからといって、少しでも自分のいのちを延ばすことができるでしょうか。』ルカの福音書12章25節


キリスト者は、必要以上に思い悩むことがあってはなりません 。
主イエスが「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。
それでも、あなたがたの天の父は養っていてくださいます。
あなたがたはその鳥よりも、ずっと価値があるではありませんか」と言っておられるからです。

あなたのことを心にかけてくださる天の父なる神がおられるのに、それでも世のことに心を煩わすとすれば、一粒の大麦さえ持っていないにもかかわらず、日々養われ、枝にとまり元気にさえずっている小鳥たちのほうが、あなたよりはるかに優れたものとなるでしょう。

鳥たちはだれからも世話を受けることなく生きています。
あなたが養われないはずがないのではありませんか。

思い悩み、心配することは無益であり不要です。
思い悩んでも、自分の命を延ばすことなどできないと主は教えてくださいました。

もし農夫が、雨が降らないと心配しても、天の雲を取り除くことなどできるでしょうか。
たとえ、逆風のため荷物で満杯の船の到着が遅れていることを貿易商人がどんなに心配しても、その強い風の方向を変えることができますか。

いらいらしたり、腹を立てたりすることによって運命を変えることなどできるはずがないのです。
もし私たちが賢いのであれば、神に対してさえも配慮の手を差し伸べることができるようになり、その思慮深い行動は決して誤ることがないでしょう。

それは、手段が目的に一致するからです。
しかし、そのようなことは起こり得ないのです。

くり返しますが、思い悩むことは愚かなことです。
それは単に不平を言うだけ、くよくよするだけのことであり、そこからは何も生み出されることはありません。

主は、世のことについてむやみに悩むことは異教徒のすることだと言っておられます。
「これらのものはすべて、異邦人が切に求めているものです」。

異教徒はまことの神を信じてはいません。
彼らは自分が神になろうとしているだけなのです。
「神の摂理は私の嗣業です」と言えるキリスト者は、世のことについて心配したり、思い悩んだりする必要はありません。

天国を受け継ぐ者は、神を信ずることなく、また神にある希望をもたずに生きている人以上に、より高い次元で生きることができるように心がけなければなりません。

もし私たちが主キリストの内にあるのであれば、神を信じ、外なる世界と内なる世界の支配を天の父に任せようではありませんか。

「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りに頼るな。
あなたの行く道すべてにおいて、主を知れ。
主があなたの進む道をまっすぐにされる」からです。

God Bless You!!


a:89 t:1 y:0