2019年7月17日(水)の手紙

2019年7月17日(水)


『ところがイエスは、船尾で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生。私たちが死んでも、かまわないのですか」と言った。マルコの福音書4章38節


主はしばしば、愛する者が苦しむのをそのままにしておかれることがあります。
状況がますます悪くなっているにもかかわらず、主が私たちの祈りと嘆願を全く無視しておられるかのように見えることがあるのです。

そのようなとき、私たちも弟子たちと同様に、「先生。私たちが死んでも、かまわないのですか」と嘆き、訴えます。
しかも、この不平不満が思い違いであることもすぐに忘れてしまうのです。

自然の法則は、それ自体では何もすることができません。
独力で行動できる力をもっていないからです。
すべての力の源は、神の御手の内にあります。
自然の法則は、主なる神がどのように働いておられるのか、その方法を述べているにすぎません。

神は船がその舵に従うように定めています。
そして、岩はその堅さを保つことができるようになっています。

ですから、船が座礁し、沈没する原因は誤って舵を取ってしまった操舵手自身にあるのです。
病で亡くなる人は、自然の中にある支配できない力によって死ぬのではなく、神が破壊的なさまざまな力に対してエネルギーを与えておられるからです。

自然の法則は、それだけでは力の伴わない単なる文字でしかありません。
私はそれらの文字を読み、そして、神がそれらの文字に従って行動しておられることを理解します。
法則は神によって作られたものであり、神はその法則にしたがってすべて行動なさいます。

とはいえ、神はその法則に縛られることは決してありません。
なぜなら、神がその法則を作られ、それを支配しておられるからです。

この真理はさまざまな問題を別の角度から見ることを可能にします。
もし主が試練を用意しておられるのであれば、私たちは主の意志に従わなければなりません。
不満を言うべきではありません。
神のやり方に間違いはないからです。

もしそれによって悲しみが与えられるとしても、神は理由も計画もなしに、人の子らをただ苦しめ、悩まそうとは思っておられないと信じることができるのです。

ですから「先生。私たちが死んでも、かまわないのですか」と問うのではなく、従順をもって「その方は主だ。主が御目にかなうことをなさるように」と祈るべきです。

地上のすべてのことは、神を愛する人々とご計画に従って召された人々にとって益となるようにとの神のご意志とご計画によって起こります。
神はご自身の目的とそのための実現の方法を明確にもっておられます。
そして、その究極の目的は、神の栄光が現され、神の民が益を受けることができるためです。

God Bless You!!


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