2019年7月10日(水)の手紙

2019年7月10日(水)


『ところが強風を見て怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。』マタイの福音書14章30節


私は、使徒ペテロの素朴で伸び伸びとした祈りに心惹かれます。
彼は水の中に沈みかけたとき、さらに深く沈み始めたことに気づき、すぐさま主イエスにこう叫びました。

「主よ、助けてください」と。

ペテロの信仰は非常に活き活きとしたものでした。
祈ることによって、水の中を歩くことができるようになるとは必ずしも言えないのです。
しかし、信仰の熱意にされて、そう祈ることは間違ったことではありません。

祈ることは水の上を実際に歩くことよりもはるかに勝っています。
信仰をもつことによって何の苦難もない、喜びに満ちた人生を送ることができるようになるとは必ずしも言えません。
しかし、あなたが信仰によって主イエスの尊い血による贖いを信じることができれば、それが求められる信仰のすべてであり、それで十分なのです。

どんなにあなたが信仰深くても、神の御顔の輝きを浴びるために、いつでも必ず山頂に到達できるとは言えないかもしれません。
しかし、信仰によって永遠の命に至る道を歩み続けることができれば、後になって、あなたはその信仰によって神を大いにほめたたえることになるでしょう。

水の上を歩くことが信仰の基本的な必要条件ではありません。
しかし、あなたが沈みかけることがあるとすれば、沈むことのないようにと祈ることは欠かしてはならないことです。

主キリストのために優れた業を実践することが救いにとって不可欠なことではありません。
しかし、苦難と苦悩の中にあっても、心を神に向けることのできる能力を与えられているとすれば、それは神の恵みを受けた明らかな証拠なのです。

ペテロが自分の祈りに対して、だれかの関心を引きつけるような抑揚をつけなかったことは確かです。
そして、その祈りのことばにぴったりの音楽の伴奏を探し求めなかったことも確かです。
しかし、その祈りは心の奥底から湧き出たものでした。

良い祈りとは、心の奥底から自然にほとばしり出る祈りです。
そして、その唇から自由に流れ出るのです。
なぜなら、心が舌を強制的に動かすからです。

救い主と過ごす密室での祈りの時を、特別に取っておくことは適切で、良い習慣です。
日常的に祈ることは、信仰の成長に大いに力となります。
なぜなら、それによって神との習慣的、そして、継続的な交わりが深められ、強められるからです。

God Bless You!!


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