2019年6月7日(金)の手紙

2019年6月7日(金)


『わたしは、だれが死ぬのも喜ばない。神である主のことば。だから立ち返って、生きよ。』エゼキエル書18章32節


しばらくすれば、私は墓の中に眠ることになります。
しかし「私は知っている。私を贖う方は生きておられ、ついには、土のちりの上に立たれることを。
私の皮がこのように剥ぎ取られた後に、私は私の肉から神を見る」と言われています。

死において、ただちに生気を失ってしまう私の目が、闇の中で必ずしも閉ざされるわけではありません。
死によって奪われたものが元に戻されるときが来るのです。

私は死が何であるかを理解しているつもりです。
死は義なる者の体を地下牢に一時閉じ込めることでしかありません。
私たちは死んで葬られ、墓は封印され、そこに名が記されます。

しかし、死よ、愚かな死よ、いずれその棺は奪われ、棺が置かれている部屋は破られるのです。

朝はすでに来ています!
主キリストはすでに来られたのです!
トランペットが鳴り響いているではありませんか!
目を覚ましなさい!
しっかりと目を覚ましなさい!

墓から義なる者がよみがえり、死は混乱の中にあっても影をひそめ、空しく遠吠えをするだけです。
というのは、その帝国は臣下たちが全部奪われてしまったからです。
「王の目には、彼らの血は尊いのです」。

忌むべき彼らの骨は尊いものに変えられ、彼らの塵は祝福されたものとなるでしょう。
主キリストが彼らをよみがえらせる時が来るのです。

愛する者を失ったあなた、このことを忘れないでください。
悲しみ嘆いている神の子たちよ、贖われた友人たちは再び生き返るのです。
死の抱擁をもってあなたをとらえたその手は、天国で再びあなたをしっかりととらえてくれます。

涙を流して嘆いた目は、大いなる幸いの中で真昼にその目を覚ます時がやって来ます。
あなたが悲しみのうちに葬った体は、そのときの状態と同じ体で、腐敗することなくよみがえるのです。

もしあなたが贖われているのであれば、愛する者に再び会うことができます。
死は義人の骨一本も、一粒の塵も、一本の髪の毛も自分のものとすることはありません。
主キリストは私たちの体のあらゆる部分を贖ってくださいました。

ついには、体全体が天国で歩むにふさわしい、完成されたものとなり、天において栄光に満ちた魂と永遠に結び合わされるのです。

God Bless You!!


a:126 t:1 y:0