2019年6月27日(木)
『その日、エルサレムは次のように言われる。「シオンよ、恐れるな。気力を失うな。」』ゼパニヤ書3章16節
「恐れるな。」
「何ですって? ほんのわずかでもですか。」
「そうです。 少しも恐れてはなりません。」
「少しばかりの恐れをもつことは、確実にあると思いますが。」
「しかし、それでも恐れてはなりません。」
この勧めを不信仰という喉の周りにしっかりと結びつけておきなさい。
「恐れるな。」
今日も「恐れるな」。
そして、明日も「恐れるな」。
このことを忘れてはなりません。
あなたの人生のいつ、いかなるときにも「恐れるな」。
この命令を思い起こしてください。
恐れに襲われたときはそれを振り払い、心に恐れが入り込む余地を作ってはなりません。
天候が荒れているとき、船の乗客は船長の冷静な言動によって安心します。
ある純真な心根をもった人が、「私には恐れる原因が見いだせません。
なぜなら、船長が口笛を吹きながら歩いているのを見かけたからです」と言いました。
確かに船長が平静であれば、乗客も安心できます。
もし、主イエスが歌を歌いながら船の舵を取っておられるのであれば、恐れる必要はありません。
「主の前に静まり 耐え忍んで主を待て」と言われているからです。
「強くあれ。恐れるな。見よ。あなたがたの神が、復讐が、神の報いがやって来る。
神は来て、あなたがたを救われる」のです。
God Bless You!!
a:134 t:1 y:0