2019年6月19日(水)の手紙

2019年6月19日(水)


『それゆえイスラエルよ、わたしはあなたにこのようにする。わたしがあなたにこうするから、イスラエルよ、あなたの神に会う備えをせよ。』アモス書4章12節


隣人の突然の死は、生きている者への厳粛な警告です。

老人が亡くなれば、それはある面で当然のことと考えられます。しかし、若い人が突然亡くなると、老人は言うまでもなく若者であっても死ぬ可能性があることを、強く心に留めることになります。

だれも一日二十四時間以上の計画を立てることはできません。
太陽はたちまちのうちに沈むからです。

同様に人の力もたちまち弱まり、その美しさも色あせます。
主は恐ろしいほどはっきりした口調で、「わたしはあなたにこのようにする。
わたしがあなたにこうするから、イスラエルよ、あなたの神に会う備えをせよ」と言われます。

だれもがいずれは「先生がお見えになり、あなたを呼んでおられます」と呼びかけられます。
「あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。治らない」という、明確な宣言を聞くことになります。

死はその人の性格、年齢、あるいはその人が希望にあふれているかどうかなどには全くお構いなく、だれにでも平等にやって来ます。

ある人は豊かな愛情に恵まれています。
しかし、それさえも、死を飛び越えることはできません。

ある人は、人生に必要なすべての慰めの手段を与えられています。
しかし、その命はたとえ名医の手にかかってもその衰えを食い止めることはできません。

その人は愛情に満ちた母によって優しく愛されています。
そして、彼の名は愛する妻の心の奥にしっかりと記憶されています。
しかし、死は女性たちの愛にさえ敬意を払うことはありません。

「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」のです。
どんな人もこの戦いから解放されることはありません。
私たちはみな、この戦いに出陣することになるのです。

もし主がこの今の時を終わらせるために来られることがなければ、私たちはみな、この戦いに参加しなければなりません。
あなたもこの真理を心の奥にしっかりとどめてほしいと私は願っています。

「主よ、お知らせください。私の終わり、私の齢がどれだけなのか。
私がいかにはかないかを知ることができるように」とだれもが言わざるを得ないのです。

人は必ず死を迎えなければなりません。
しかし、私はこの問題にあまりこだわるつもりはありません。
死ぬことはだれもが認めざるを得ない厳粛な事実だからです。

いずれ死は、すべての人にとって緊急の課題となることでしょう。
私たちはみな同じ戦の中で戦い、同じ戦場に従軍するのです。
他のすべての人が倒れているその場所から、いったいだれがどのようにして逃れることができるというのでしょうか。

God Bless You!!


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