2019年5月3日(金)の手紙

2019年5月3日(金)


『祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。そこには、すべての人の終わりがあり、生きている者がそれを心に留めるようになるからだ。』伝道者の書7章2節


友よ、あなたは喪中の家を訪ねたことがあるはずです。
あなたと一緒のことがたびたびありました。

先週、人通りの多い道で何度か葬儀の列が見られました。
これはよくあることです。

ある人は「私たちが経験しているような苦難をだれも味わっていない」と言います。
しかし、そのように言ってはなりません。
悲しみの道はだれもが通る道なのです。

「主は私を苦菜で満腹にし、苦よもぎで酔わせ、私の歯を砂利で砕き、灰の中で私を踏みつけられた」と言われているからです。

しかし、あなたは一人ではありません。

多くの人が哀悼の意を伝えるために喪中の家を訪ねます。
私は今週、あたかも死者を嘆く遺族と同じほど深く悲しんだ、と心の底から言えるときを過ごしました。
私は、何人もの死者を次々と弔うという経験をすることがあります。

もちろん、これは楽しいことではありません。
しかし、かえってそれによって慰めと励ましとを豊かに与えられることがあるのです。

ですから、喪中の家を訪ねることを恐れてはなりません。
嘆き悲しんでいる人の家に行って、慰めのことばをかけてください。
病人を訪ねることは私たちの義務です。

また喪に服している人たちのところにも行き、彼らを慰めてください。
「祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい」のです。

しばらくすれば、死が私たちの真ん中に陣を張ることになるでしょう。
もし死の時が神によって定められているのであれば、あなたは間違いなく死を迎えることになります。
いずれにしろ、あなたは間もなく「喪中の家に行く」ために呼び出されるのです。

しかし、神の子たちよ、恐れる必要はありません。
聖霊の導きによって、寝床の傍らに主イエスが現れ、そこがあなたのベテル(神の家)となるからです。

God Bless You!!


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