2019年4月13日(土)の手紙

2019年4月12日(土)


『苦しみにあう前には 私は迷い出ていました。しかし今は あなたのみことばを守ります。』詩篇119篇67節


より確かな信仰へと進む道は、たいていつらい悲しみの道を通ることによって開かれます。
信仰が試みられることによってのみ、私たちの信仰は確かなものとされるからです。

もちろん、私の経験があなたがたと全く同じものであるかどうかはわかりません。
しかし、安らかで平和なときに私が受けたすべての恵みは、金銭の力によるものであった可能性があります。
悲しみ、嘆き、そして痛みから私が受けた恵みは数え切れないほど多かったのです。

私が金槌、金敷、火、やすりなどから恩恵を受けることは何もないと言えますか。
あるいは、るつぼ、炉、石炭を燃やす風の唸り声から、また高熱の中へと私を送り込む恐ろしい手から、何らの恩恵も受けることはないと言えるでしょうか。

苦悩は私の家の最も高価な家具の一つであり、また、牧師の書架の最も価値ある蔵書の一冊なのです。
私たちはさまざまな試練の中にあっても賢く楽しむことができます。
その結果、信仰の試みが忍耐を養ってくれることを学ぶようになります。
このことによって私たちは大いに豊かにされ、信仰が強められるのです。

ある老いた清教徒の一人が、「たとえあなたが森に行き、動かず静かにしていても、そこにヤマウズラがいるのか、雉がいるのか、それとも兎がいるのか知ることはできません。
しかし、そこであなたが動き、声を出すと、そのところに生存し、潜んでいる生き物が出て来ます。
そして、彼らはそこから立ち上がり、逃げて行きます」と言っています。

あなたが苦悩を経験し、不安に陥り、心を乱すとき、かえって恵みが明らかにされ、豊かに与えられます。
そして、何もないところから信仰が呼び起こされ、神の愛が秘密の場所から突然湧き上がるのです。

ウィリアム・ジェイが、鳥の巣は夏には見つけ難いが、冬にはだれでも容易に見つけることができると伝えています。
すべての木の葉が落ちたとき、木は丸裸にされ、巣が見つけやすくなるからです。

私たちが豊かなときにはかえって信仰を見いだすことは困難です。
しかし、逆境に遭遇し、厳しい冬の試練によって木の葉が丸裸にされると、私たちはすぐさま信仰を見いだすことができるようになるのです。

ダビデは「苦しみにあう前には 私は迷い出ていました」と言います。
しかし、その後で「しかし今は あなたのみことばを守ります」と付け加えています。
彼は迷い、苦しみに遭ったとき、神のことばを守ることによって、自分には尊い信仰が与えられていたことを確認したのです。

God Bless You!!


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