2019年3月30日(土)の手紙

2019年3月30日(土)


『床の上で あなたを思い起こすとき、夜もすがら あなたのことを思い巡らすときに。』詩篇63篇6節


キリスト者が困難なことに遭遇した場合、神にすがり、祈りをささげることは当然のことです。
神を求めることは、神の子たちが生まれ変わったことを示す一つのしるしだからです。

信じる心とは羅針盤の針のようなものです。
あなたはその針を自分の指で回すことができます。
しかし、指を離せば、その針はたちまち北を指します。

私たちは今遭遇している苦難や事業に心奪われ、どうにもならない無気力などによって、尊い神の愛に対して無関心になってしまいます。
しかし、これが長く続くことはありせん。
というのは、私たちの唯一の平安が神のうちにあるからです。

多忙のために、私たちは瞑想の時をもつことが不可能になり、さらには、信仰の成長を願い、神の愛と恵みを求めようとする修練さえ怠るようになります。

しかし、神に向かってのわずかな瞑想によっても、救い主の衣に少しだけ触れて救われた女のように、神からの祝福を受けることができるのです。
もし少しでも瞑想の時を過ごすことができれば、私たちは主の支配を信頼していることを証しし、主の愛を豊かにいただくことができるようになります。

ダビデは「床の上であなたを思い起こすとき、夜もすがらあなたのことを思い巡らすときに」と言います。
ですから、さらに瞑想に励もうではありませんか。
そうすれば豊かな恵みと喜びが与えられます。

天国を瞑想することによって、眠れないときにも喜びと主との豊かな交わりが与えられるようになるのです。
密室での祈りと瞑想が、魂と神との豊かな対話の時となるべきです。

主は御言葉を通して私たちに語りかけてくださいます。
そして、祈りによって私たちは神に語りかけることができるのです。
祈りをささげることができなくなったときは聖書を読み、主の御声にただ耳を傾けてください。
そうすれば、あなたの心の中に祈り心を見いだすことができるようになるでしょう。

友人に話すように主に語りかけてください。
あなたの思いをすべて言い尽くした後、主が再び語りかけてくださることを期待して心を整え、待ちましょう。
そして、主の臨在を十分に実感してください。

たとえ、友人との対話のときが半分に減少したとしても、その後神との語り合いのときが、その何十倍にもなっているとすれば、それ以上に幸いなことはないのです。

God Bless You!!


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