2019年3月22日(金)の手紙

2019年3月22日(金)


『神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを。』詩篇42篇5節


悲しみは和らげられなければなりません。
しかし、主にある信徒が慰められることを拒むと、世の人たちと同じように行動してしまいます。

キリスト者が地上の財産を失ったにもかかわらず、何の慰めも得られないとすれば、神の御名は辱められます。
そのようなとき、あなたの心の中に神の御言葉が思い浮かぶことはありませんでしたか。
御言葉には悲しみを小さくする力があるからです。

炉が熱いのであれば、信仰をさらに強くしなさい。
重荷が耐えきれなくなれば、忍耐力をさらに強くしなさい。
お金を貸した人が返済を要求することは当然のことです。
貸したり、与えたりする人を祝福するとともに、返済を要求する人をも祝福しなければなりません。

希望に満ちた目を持ったキリスト者でさえ、涙を拭い去ることのできないときがやって来ます。
また、強い信仰、喜びに満ちあふれた希望がその希望を灯し続け、また、信仰を生きたものとしてもち続けることができなくなるほどの恐ろしい状態へと後退することがあるのです。

暗闇に陥り、心が打ちのめされることがあっても、主にある約束を確かなものとし、それを喜びなさい。
しかし、それは決して易しいことではありません。
そのような状態であってもダビデとともに「なぜ、おまえはうなだれているのか。
私のうちで思い乱れているのか」と自問自答してください。

その涙の理由を問うてください。
詩人の結論と同じようになるまで問い続けてください。
そして、「神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを」と言えるようになってください。

魂が暗黒の中にあっても、神の御言葉を思い起こし、神を信じることができるなら、あなたは悲しむ十倍以上の喜ぶ理由をもつことができます。
あなたが主イエスの足もとに謙遜にひざまずくなら、あなたの行く道には繁殖力の旺盛ないばら以上に多くの美しい花が咲くことでしょう。

深い悲しみの中にある友よ、望みのない悲しみに取りつかれてはなりません。
あふれる感謝をもって希望の天使と挨拶を交わしなさい。
というのは、あなたには、主をほめたたえなければならない理由が数えきれないほど多く与えられているからです。

God Bless You!!


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