2019年3月14日(木)の手紙

2019年3月14日(木)


『主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる。』詩篇34篇18節


打ちひしがれ、打ち砕かれた心をもって生きている人が、意外に多いことに私は驚いています。

手が骨折すれば不自由この上なく、体のどの部分であっても傷つけば、それに耐えることは困難です。
心が傷つき、打ち砕かれ、あるいは魂がおののくとき、あなたは意気消沈し、全く惨めな状態となることは確かです。
その結果、あなたは退屈で面白みのない人間になってしまいます。

血を流し、死のうとしている傷ついた鹿から仲間が離れて行くように、隣人もそのようなあなたから離れて行くことでしょう。

人は本能的に、陰気な人を避けたがるものです。
幸福を願う思いが陰気な感じを与える人を避けるようにしてしまうからです。
しかし、神の教えを受けている人には、心の打ち砕かれた人たちを助けることのできる力が与えられています。

ところが、援助する力が不十分なために同情心はすぐに衰えてしまうのです。
人はだれでも手足、そして体が成長し、骨も丈夫になり、多くのことができるようになります。
しかし、心が打ち砕かれ、押し潰された場合、何ができるでしょうか。

不可能と思えることに挑戦しようとする気力はなくなり、失敗することを嫌います。
意気消沈している人を避けることは善良な人にさえ、ごく普通のことのように思えます。

このように、悲しんでいる人は「あなたは私から愛する者や友を遠ざけられました。
私は暗闇を親しい友としています」と嘆かざるを得なくなるのです。

意気消沈している人たちを慰めようとすると、彼らは不自然な態度を取り、わざとらしい失敗を犯し、激しい敵意を示すことがあります。
そして、不運にも苦難の中にいる人たちは苦悶の中で「あなたがたはみな、人をみじめにする慰め手だ」と嘆き叫ぶほどに、相手を非難してしまうのです。

打ちひしがれ、心の打ち砕かれた人たちが受ける試練は、非常につらい内容を伴います。
というのは、彼らはしばしば人々から軽蔑され、避けられてしまうからです。

しかし、「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる」と教えられているように、心の打ち砕かれた人たちはむしろ神に近い人たちであり、幸いな人たちなのです。

God Bless You!!


a:110 t:1 y:0