2019年2月2日(土)の手紙

2019年2月2日(土)


『地震の後に火があったが、火の中にも主はおられなかった。しかし火の後に、かすかな細い声があった。』列王記第一19章12節


神に礼拝をささげるとき、私たちはしばしば目に見える強さや力に頼ってしまいます。
大声をあげ、人々に異常な興奮を与え、扇動し、さらには世間の関心を引けば、神の力を受けることができるのではと思ってしまいます。

神はどのようにして、私たちの心に触れてくださるのでしょうか。

天の父なる神は、多くの場合、柔らかい、優しい、穏やかな、静かで落ち着いた、かすかな細い声を用いられることが多いのです。
聖霊はやさしく、そして穏やかに、あたかも氷山や氷河を溶かす春の息吹のように働きかけるのです。

冬になると小川は冷たくなり、水面には氷が見られるようになり、その流れは鈍くなります。
しかし春が来ると一気に力強く流れ始めます。
氷という接着剤が溶けると、ハンマーの音もヤスリの音も聞こえなくなります。
ただ静かな南からの風だけが吹き始め、すべてが命に満ち、自由になるのです。

聖霊が魂の中に宿るのは、聖霊ご自身の働きによるものです。
聖霊は激しい風となります。
というのは、聖霊は、聖霊自身の喜びに基づいて働かれるからです。

しかし、聖霊が神の平和をもたらすとき、鳩のように、あるいま、天からの露のように降りて来られます。そして、私たちに完全な平和、優しさ、静寂が与えられのです。

サタンは苦悶、疑い、恐れ、恐怖などを用いて私たちの魂を恐ろしい火の上にとどめます。
しかし、そのとき、聖霊は優しい愛をもって私たちのところに来てくださいます。
そして、主キリストは温和な方として示され、聖霊が救い主の十字架を立て、平安、赦し、救いを告げるのです。

これこそ私たちが望み、必要とするものです。
神の聖霊の働きは生ける愛という、ご自身の方法によって与えられるのです。

God Bless You!!


a:135 t:1 y:0