2019年12月25日(水)の手紙

2019年12月25日(水)


『神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。』ヨハネの黙示録7章17節


昔、人々は涙をぬぐうために小さなガラスびんを使ったと伝えられています。
その器の中には、すべての人に共通の悲しみの涙が蓄えられていることが、私にはよくわかります。

主にある信徒であっても、他の人と同じようにさまざまな苦しみと悲しみを経験するからです。
神のしもべであっても肉体的な痛みを避けることはできません。
信仰をもっていない人と同じように、彼らも神経、血管、手足、臓器に病を負うことがあります。

優れた聖徒であっても、病の床に長く伏せることがあり、病を避けることのできる人は一人もいません。
神のみこころを十分にわきまえている人であっても、訓練のための厳しい鞭の一撃を受けることがあるのです。

どんな人も痛みのために頬に涙を流します。
人の肉体は考えている以上に弱いからです。
痛みのために、涙で自分の床を濡らさなかった人など、これまでいたでしょうか。

それに加えて、日々の歩みの中で出遭う多くの失敗と試練があります。
キリスト者も日常生活の中でしばしば試練や深刻な失敗を経験します。
元日から大晦日まで、人生に疲れを覚えることなく、しかも、平安に過ごすことなど、だれにもできないのです。

どんな船も、嵐に遭遇することなく大西洋を航海することはできません。
天国にある大海原においてのみすべてが静かであり、しかも、永遠なのです。

主イエスはラザロが死んだとき、涙を流されました。
しかし、あなたが死別の涙を流すことなどないと考えてはなりません。
親が私たちよりも先に亡くなることは普通のことです。

しかし、時に子どもたちが先に奪い取られ、兄弟姉妹たちが死の大鎌の前に倒れることがあるのです。

友よ、茨やアザミに出遭うことなしに荒野を踏破することができないように、この世という荒野を旅するときも同じ経験をするのです。

一歩進むごとに、あなたの足を傷つける茨による痛みに悩まされます。
私たちは笑うことを忘れることがあるかもしれません。
しかし、嘆く術はすぐに身につくようになるものです。

今流している涙を確実に取り除くことのできる方法は、主なる神との親しい霊的交わりによる以外ないのです。
親しい神の翼の下で憩い、神の胸の近くに安らぎの場を見いだすことができるとき、私たちは安全であり、満足を覚えることができ、そして平安であり、真実の喜びが与えられます。

God Bless You!!


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