2019年12月21日(土)の手紙

2019年12月21日(土)


『あなたが受けようとしている苦しみを、何も恐れることはない。見よ。悪魔は試すために、あなたがたのうちのだれかを牢に投げ込もうとしている。あなたがたは十日の間、苦難にあう。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与える。』ヨハネの黙示録2章10節


カーライルはフランス革命に関する歴史書の中で、王の死を信じることができなかったオルレアン公爵について述べています。

ある日、彼の秘書が「故スペイン王」ということばを偶然見いだし、話題にしました。
ところが、公爵はこのことばによって彼が何を言おうとしているのかについて、怒りを込めて秘書に問いただしたのです。

すると、秘書は「閣下、それは亡くなったこれまでの歴代の王たちに与えられた称号です」と答えたと言われています。

王であろうとだれであろうと、私たちはすべて死ぬべき存在です。
しかし、神は、太陽よりも長く生き、星よりも長く存在し続け、永遠に存在できる霊的な本性を私たちに与えてくださいます。

そして、義とされた魂が体を離れると、その後、神の御前に移されるのです。
そして「まことに、あなたに言います。
あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます」と宣言されるのです。

しかしながら、主キリストは神の民の魂だけでなく、体をも贖ってくださいました。
そして、私たちの体はよみがえり、魂は再び私たちの体と一つとされます。

この地上では、私たちは縮んだ穀物のようなものであり、それが最後に地に蒔かれます。
しかし、次の世界では、私たちの体は、天から与えられる、人の知恵では想像さえできないほどの麗しさをもつものに変えられます。

私たちの体は栄光ある体によみがえり、栄誉ある体によみがえり、力ある体によみがえり、もはや死ぬことのない体によみがえるのです。

ヨブは、「私は知っている。私を贖う方は生きておられ、ついには、土のちりの上に立たれることを。
私の皮がこのように剥ぎ取られた後に、私は私の肉から神を見る。
この方を私は自分自身で見る。
私自身の目がこの方を見る。ほかの者ではない。
私の思いは胸の内で絶え入るばかりだ」と言います。

勝利のなつめ椰子の枝を振り動かし、いのちの冠を頭に載せようではありませんか。
また、輝くきよい亜麻布を着て、私たちの冠を王座の前に投げ出そうではありませんか。

そして、永久に絶えることのない歌を歌い、永遠に続くコーラス隊に加わり、「ハレルヤ。私たちの神である主、全能者が王となられた」と賛美しようではありまんか。

私の声は感謝の調べに完全に調和することになります。
そして、私の心は王座の前で我を失い、踊りだすことでしょう。

そして「これらのことを証しする方が言われる。
『しかり、わたしはすぐに来る。』 アーメン。
主イエスよ、来てください」とこう叫びましょう。

God Bless You!!


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