2019年12月2日(月)の手紙

2019年12月2日(月)


『聖書にはこう書いてあるからです。「見よ、わたしはシオンに、選ばれた石、尊い要石を据える。この方に信頼する者は決して失望させられることがない」ペテロの手紙第一2章6節


キリスト者は肉欲に関しても試みを受けることがあります。

私たちの内にある自然の欲求が激しい情欲に侵入します。
しかし、恥の意識がそれを追い払ってくれます。

そのようなとき、キリスト者は破滅してしまうのでしょうか。
いいえ、主キリストを信じる者は自分に勝利し、絶えずつきまとうもろもろの罪に速やかに打ち勝つことができるようにされるのです。

敗北、試練、仕事上の困難、身内の死別などの不幸が人生の歩みの中で起こります。
ほかに何かありますか。

しかし、私たちは恥を受けることはありません。
主は私たちをあらゆる試練の中で支えてくださるからです。

しかし、ついに避けることのできない死がどんな人にもやって来ます。
いつか、親しい隣人が私たちの額から冷たい汗をぬぐい取り、そして、息も絶え絶えになる時がやって来ます。
しかし、恥を受けることはありません。

「勝利!」と叫ぶことはできないかもしれません。
また、勝利の賛美を歌うにはあまりに弱ってしまっているかもしれません。

しかし、息を引き取るとき、尊い主の御名を密かに口にすることでしょう。
そして、臨終を見守る人たちは、キリスト者は死ぬことはなく、永遠の命をいただけることを心静かに確信するのです。

愛するみなさん、たとえ永遠の世界という威厳あふれる中に置かれることがあっても、恥を受けることはありません。
いずれ、私たちは次の歩みへと移行していくことになります。

しばらくすると、ラッパが鳴り響き、死んだ人たちはよみがえります。
それから、やがてやって来る大いなる日に、私たちは多くの人たちとともに主の前に堅く立つことになるのです。

人生の異なったいしずえをもつ人たちは、山と岩に向かって自分を隠してくれるようにと叫びます。
しかし、私たちは穏やかに立ち、そして、さばき主である主を静かにたたえます。

その日は私たちにとって最も厳粛な日となります。
多くの賛美歌に記されている歌詞は確かに真実です。

私は大いなる日に主の前に大胆に立ちます。
いったいだれが
私の罪をさばくというのですか?
私は主の尊い血によって、
恐ろしい罪の呪いと恥から
解放されているからです。

God Bless You!!


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